ギフテッドの挑戦ー承認欲求の道
NOTEの他のギフテッド関連の記事を見ると、
たまに不可解な事象に気づいてしまう。
それは、
「ギフテッド当事者の生い立ち」に関する記事。
内容は大体、
・子供の頃の他人と違う自分の行動
・すごい実績
そして、「スキ」がいっぱい付いてる・・・
あれ・・・
あれれ・・・
こんな簡単に行動原理が理解されるなら・・・
こんな簡単に実績が認められるなら・・・
何で生きづらいの?
と思う。
そこで、本熊もやってみようと思った。
「実績だけ」見ると凄そうな
本熊のエピソードを話してみる。
そして、世間はどんな反応をするか、確かめてみたい。
おそらく、熊の予想は
「すごいかもしれないけど、あまり興味がない」
「でたらめでしょう」
「別にすごいと思わない」
「すごいかどうかは置いといて、面倒くさそうなやつ」
上記のような反応は、人間の深層心理に確かな理由がある。
ギフテッドに対する極普通の世間の反応である。
では、始めるぞ。
エピソード①:辞書を読んでいるうちにネイティブになった件
本熊は、インターネットの世界で日本人と繋がり、
英語で会話していた。
当然、
日本人同士は日本語で喋っているため、
熊も日本語で話したいと思った。
そこで、
人間の脳の仕組みを知っており、
自分の脳の特性も把握している本熊は、
辞書を読むのが一番理想的な言語の勉強法と判断した。
そして、
熊は辞書を読み始めた。
日本人同士の会話も横から観察した。
現実世界の友人たちは、
熊の辞書探検活動を懐疑的な目線で見ていた。
ある日、
とある友人Bに馬鹿にされ、
上から目線で色々アドバイスをされた。
友人Bは日本に一年以上住んだ経験があり、
日本語学校にも通っていた。
かつ、日本語能力試験のN2資格を所持しているため、
他の友人も友人Bに便乗して、熊を哀れな目線で見ていた。
※日本語能力試験は、N1が一番高く、N6が一番低い。
N2があれば日本での就職は可能。
三ヶ月後、
熊は文字ベースで日本人と意思疎通ができるようになった。
ちなみに、日本人の友人から何も教わってない。
日本人の友人たちは日本語の文法がよく分からないって・・・
さらに三ヶ月後、
そろそろ料理ができたかと思って、
熊は突然日本語を日常会話レベルで話し始めた。
※本熊にとって、言語学習は料理をすると同じイメージ。
現実世界の友人たちは当然びっくりした。
でも所詮話せたぐらいで、いくら話せたとしても、
「肩書き(資格)」に勝るものはないと彼らは思っていた。
熊は肩書きに興味はないが、
自分の言語能力の実用性を確認したかった。
そのため、日本語能力試験を受けようと考え始めた。
通常、言語学習をする人たちは、
一番簡単なN6試験を目指して、N6向けの教材を勉強し、
N6が合格したら、つまりN5の勉強を始めて良い、
という謎の常識に従っている。
熊は「N6合格はN5のスタート時点に立っている」ことに、
意味を感じなかった。
なぜかと言うと、そもそも最終的なゴールがない状態で、
中間時点の正しさを判断しようがないと思った。
世の中の人々は、目的を忘れたり、途中で迷ったりする。
熊は日本人のように喋りたい、これが熊の最終ゴールだ。
そして、熊がN1の合格基準を調べたところ、
N1合格はネイティブと同等のレベルを意味すると知った。
つまり、
たとえ不合格でも、
50点が取れたら、
ネイティブの50%の言語能力を有すると判断できる。
で、熊は最初からN1を受けに行った。
そして、受かった。
この事実を知った友人たちは、
その後、日本に関する話題を一切しなくなった。
いつも日本の話でマウントばかり取っている友人Bを含めてね。
めでたしめでたし(泣
このエピソードを日本の専門家に伝えると、
彼らは信じてくれると思う?
僅かな反復で学習方法を把握するとか、
常識では理解できない考え方とか(専門家も常識側やろ)、
現代科学では説明・再現できない能力とか、
当たり前のように上記のことを口にする専門家たち、
本当に君たちの目の前に起きたら、
あなたは信じるのか?
そして、
一般社会は受け入れてくれると思う?
「先生、私辞書だけでいいっす」と言ったら、
先生と他の生徒に何をされると思う?
私たちを支援するって、
何を持って自分達にその能力があると思う?
支援されるべきなのはギフテッドのほうなの?
楽なことしようとしていない?
問題はこの多数派が圧倒的な力を持つ一般社会にあるぞ。
彼らを救えよ。精神性という意味で。
・・・虚しくなってきたので、
エピソードはこれだけにしよう。
変な終わり方。
そして、ケーキ食べたい。