時間表現への挑戦
○ ◎ ○ ◎ この記事の要約 ○ ◎ ○ ◎
・時間が量として空間の位置関係と同次元で考えられるようになったのは科学技術文明の成果だった、そしてこのことは普遍的、科学的な時間とは別にパーソナルで感覚的な時間があることを気づかせた(数学的な速度とは無関係にスピード感が存在する。ジェット機よりバイクの方がスピード狂向きだったり、嫌な会議はゆっくりしか進まない)。交通機関の進歩と繁雑になる社会生活が、人々に客観的と主観的というふた通りの時間の存在を自覚させた。
・リアリズムの洗礼を受け、印象派で人間の目玉という感覚器官の問題を客観的に扱うようになっていた美術は、次にこの科学的な時間と感覚的な時間というギャップに気づく。19世紀から20世紀への美術はこの感覚の問題を扱おうとすることで前進していく。
・新発明や新発見が次々と企業化され、自由主義的な雰囲気の中で誰にでも出世のチャンスが与えられていた時代に、個性を売り物にしていた画家たちは、中産階級と呼ばれる小金持ちと全く瓜二つの生き方をしていた(買手の願望や趣味に迎合した絵画であるということになるのだ)。
・未来派とは、過去の芸術の徹底破壊と、機械化によって実現された近代社会の速さを称えるもので、20世紀初頭にイタリアを中心として起こった前衛芸術運動。1920年代からは、イタリア・ファシズムに受け入れられ、戦争を「世の中を衛生的にする唯一の方法」として賛美した。
・産業革命以降、ヨーロッパでは中世の封建社会から資本主義社会への転換が起こり、それに伴い様々な社会情勢も劇的な変化を遂げた。また、科学技術の進歩により戦争に人間を大量に殺戮する「兵器」が投入され、近代戦争へと変容した。旧来の価値観の変化と、それに伴う社会不安を背景に、19世紀末頃より「表現主義芸術」が興隆し始める。
・未来派は、表現主義芸術の影響を受けつつも、もっと純粋に肯定的に、近代文明の産物や、機械の登場によって生まれた新たな視点を、芸術に取り入れようとした。画家達は、今で言う高速度撮影の連続写真のように、主題となる対象物の動きを一枚の絵に同時に描くことで、運動性そのものの美を描こうとした。
・未来派が礼賛したのは、工業機械文明や都市化に欠かせない速度・運動・雑音(ノイズ)といったテーマであり、それは例えばスポーツ・自動車・飛行機・都市・鉄道・機械などに表象され、究極的には戦争の賛美にも繋がっていった。
・「時間の概念」というフィールドを生み出した時代とは、機械文明が地球全体を支配するような未来の到来を美術が感じ取った時代だった。
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★★★ タイムマシンと時間の問題 ★★★
H・G・ウェルズが1895年、SF「タイムマシン」を書いてから1世紀以上経つのに私たちは時間旅行機を作るための基本的な原理さえ持っていない。
1760年ドラロッシュが空想の異国で出会う写真は1世紀後には実用化していたし、19世紀のジュール・ベルヌの「海底2万マイル」や「80日間世界一周」に登場する機械たちの活躍には半世紀もかからなかったことを考えると、
空間移動用の機械は空想していたものとほとんど同じものを実用化できたのに、
時間移動用の機械は未だに開発のめどさえ立っていない。
ここで考えなければならないのは、結局実現できないままになっているタイムマシンのアイディアを生んだ時代のことだ。
タイムマシンが大衆小説に登場してくるほど、時間の問題が急速に日常化してきた時代があったことが問題だ。
タイムマシンは宇宙船と同じくらい”現実的な”未来の乗り物だった。
★★★ 客観的時間の科学と主観的時間の美術 ★★★
さて次は、空間移動が次々と実現していく中で実感されるようになった時間の問題だ。現代美術が今でも追求し続けている「時間の概念」へのアプローチだ。
速度とは、時間と距離の関係を数式化したものだ。距離はすでに紀元前から私たち人間にとっての重要な概念だった。
しかし時間は長い間、人の一生とか一年とか一日とかいう単位の中での位置関係を示すものでしかなかった。だから、時間が量として空間の位置関係と同次元で考えられるようになったのは科学技術文明の成果だった。
ところが、このことは普遍的、科学的な時間とは別にパーソナルで感覚的な時間があることを気づかせた。
感覚的な時間の世界では、数学的な速度とは無関係にスピード感が存在する。ジェット機よりバイクの方がスピード狂向きなのはそのせいだし、嫌な会議は気が遠くなるほどゆっくりしか進まない。交通機関の進歩と繁雑になる社会生活が、人々に客観的と主観的というふた通りの時間の存在を自覚させた。
リアリズムの洗礼を受け、印象派で人間の目玉という感覚器官の問題を客観的に扱うようになっていた美術は、次にこの科学的な時間と感覚的な時間というギャップに気づく。
19世紀から20世紀への美術はこの感覚の問題を扱おうとすることで前進していく。
★★★ 現代美術が後期印象派に無関心なわけ ★★★
19世紀の末と言えば、ルノワールやロートレック、ゴッホやゴーギャンも登場してくる近代絵画の黄金時代だ。
新発明や新発見が次々と企業化され、自由主義的な雰囲気の中で誰にでも出世のチャンスが与えられていた時代に、個性を売り物にしていた画家たちは、中産階級と呼ばれる小金持ちと全く瓜二つの生き方をしていた。だから、これらの画家たちは、もちろんそれぞれに個性的な手法で独自の題材を描いてはいるのだが、当時の中産階級的なライフスタイルと密接に絡み合っているのだ。すなわち、買い手の願望や趣味に迎合した絵画なのだ。
また、わずか2、30年の間に、昔のロマン派や古典主義と同じに芸術の権威を振り回した絵画だった。ヌードの少女も明るい郊外の風景も孤独な街角も、ある一定の約束事のもとに作られた画家からのメッセージであることを誰もが知るようになった。約束事はパーソナリティー溢れる目玉の持ち主、ということだ。このことを知っていれば印象派が初めて現れたときのように驚かなくてすむ。ルノワールの目に映った少女はああなり、ゴッホの目に映った南仏はこうなる。そのうちに、この約束事こそが芸術であると思うようになる。いつの間にか絵画は作者のパーソナリティーを見つけるための方法になってしまった。これではまるで芸術印の登録商標のようなもので、ビジュアルな創造力の可能性を追求することとは別のものになっている。
芸術の権威を確立し、経済的にも安定した絵画の黄金時代を楽しんでいるうちに、時代は急展開し、再び絵画は時代精神との間にギャップを感じるようになるのは当然だった。
★★★ 時間を表現しようとする努力 ★★★
19世紀の末にはヨーロッパの主要都市が鉄道網の中にあったし、量産は開始されていないものの自動車も走り始めていたにも関わらずそのころの絵に時代の最先端を行くこれら機械たちの巨大な速力はあまり登場しない。ターナーの「雨・蒸気・速度」がある程度だ。
19世紀の画家たちはスピードを絵画表現することの難しさから汽車や自動車を題材を扱わなかっただけでなく、
単に、時間の意識が育っていなかったからなのだ。
時間とかスピードといった概念は、彼らの絵画の題材のカテゴリーには最初から入っていいなかった。
だからと言ってビジュアルの世界で時間を表現しようとしたものがなかったわけではない。
また写真が先にやってしまった。
それは組写真という考え方だ。2枚の写真に前後の関係をつけ、空間的に配置するだけで写真の間に時間が生まれてくる。人間は不思議にもこの時間を読み取れるのだ。健康器具の使用前・使用後の実例でおなじみの手法だ。
これは、20世紀に入るとすぐ絵画表現と結合してコマ割りマンガになり独立したメディアを確立した。
組写真の考え方はフォトストーリーという雑誌などの文章表現に関連して生まれたが、もっと純粋に写真らしい表現はクロノグラフィーと呼ばれる連続写真だった。たくさんの写真機を一列に並べ、その前を走る馬がシャッターに結んだ糸を次々に切った。馬は一瞬宙に浮いていることがわかった(「動物の動き」/マイブリッジ)。人間は、それまで見ることができなかった一瞬の光景を克明に知るようになったのだ。
一連の映像がそれぞれに時間を停止させ、同時に全体で時間の進行を表現するという手法は、その後現代美術で非常によく使われる時間表現の手法となっていく。
そして実際にそれは絵でなく写真そのものを使うことでも表現される。ここでは今までとは逆に連続写真が現代美術に取り込まれてしまった。写真の実証性はむしろこうなってその実力を発揮している。
これには写真の事情があった。1895年の映画の発明だった。映画は覗きからくりのような見世物として登場したが、またたくうちに成長し連続写真の実用的な面を奪い去ってしまったからだった。
★★★ 時間を表現する現代美術の奇妙な手法 ★★★
映画こそは時間表現の王様と言えたかもしれない。時間の流れと作者のしてんの位置を克明に記録し、それを再現することができる。相手が馬だろうと汽車だろうと、どんなスピードでも再現できる。
しかし、このメディアにも生まれながらの欠陥があった。それは動く物を正確に再現できても時間の表現にはならない、ということだ。
映画の中で進行する事柄は、事実の繰り返しでしかない。これは科学的時間の再現であって感覚的時間の表現にはならないのだ。これは映画のメディアの重大なテーマになっていく。
しかし絵画では、このように流れ去っていく時間を再現することができないことは明らかだった。再現的な絵画(風景画や肖像画や静物画)では決して時間を表現することはできない。これらは、画家が旅行しイーゼルを立てキャンバスに絵の具を塗ったその日の時間を再現しているだけだからだ。展覧会場にいる観客の、たった今の時間を自覚させようという力はない。
こうして現代美術は時間を表現するために、全く異なった表現方法を採用しなければならなくなった。(オブジェやインスタレーションなどの難解で奇妙な手法の現代美術の作品は時間を表現するためかもしれない、というアプローチがある)
★★★ アインシュタイン的発想法と未来派宣言 ★★★
アインシュタインはこの世には絶対的な時間などなく、全ての物体は光の速度とエネルギーに関係している発表した(相対性理論)。
これは今までのように実験の結果に導き出した理論ではなく、スコラ哲学的な直感でこの簡潔な理論に至った。考えることで理論という答えを見つけた。これ以後、実験は理論の正当性を試験するものになった。
未来派は、科学技術文明に応える絵画とはどのようにあるべきかという絵画の目標地点を初めに示した。そしてこの目標にどれだけ近づけるか後から絵を書き始める。絵を描くことは実験なのだ。理想の絵画という仮説を証明するための実験。ここでは理想の絵画の仮説の方が重要だ、だから仮説を作ることに創造力の中心を置かなければならないということ。画家はイーゼルにばかり向いていないで、何が理想なのかをまず考える。何枚も絵を描いているうちに経験的に理想が見えてくることはない、という考え方だ。
★★★ イズムとは仮説のことだった ★★★
未来派の宣言優先方式は、現代美術への一つの大きなアプローチを完成した。
現代美術の多くのイズムと呼ばれるものは、未来派と同じような宣言優先方式から生まれたのだ。
ピュリズム、オルフィズム、ヴォーティシズム、ダダイズム、シュールレアリズム。どの美術運動も理想の形を言葉で定義した上で実験としての絵画制作を開始したものだった。成功した運動もあったし、失敗し、たいした作品を生めないものもあった。
★★★ 未来派はファシズムになった ★★★
時間の表現について失敗した未来派も、ある歴史観の中では成功している。それはファシズムだった。
未来派の中心的な存在だったマリネッティは後にイタリアファシズムを強力に推進する芸術家となる。
結局、彼ただ一人が「宣言」を実現できた。なぜなら、未来派が理想としたスピードとエネルギーに満ちた未来を語る言葉には、巨大な機関車、突っ走る自動車、といったフレーズと共に、愛国心、テロ、暴動、女性蔑視といった言葉がふんだんに散りばめられていたからだ。
20世紀初頭、初めて時間の概念に着目し、科学技術と産業社会を賛美した未来派は、同時に時代のダイナミズムの暴力的表現と個性の抹殺に心躍らせるファシストの前身でもあった。
そしてこれは確かに美術の科学に対するひとつの答え方だった。ヨーロッパの美術は第一次世界大戦という史上初の科学戦を前に、すでに大戦後へのひとつの答えを用意していた。それが未来派だったのだ。
「時間の概念」というフィールドを生み出した時代とは、機械文明が地球全体を支配するような未来の到来を美術が感じ取った時代だった。未来とは機会による支配なのか、もしそうでないなら、それは何なのか。これは現代美術が持ち続けている文明への視点だ。
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