[映画]レナードの朝

 今夜のU-NEXT は『レナードの朝』。1990年の作品。

 これはオリヴァー・サックスによる原作を脚色した映画作品で、原作は実際の臨床記録のようなドキュメンタリーだが、映画の方はそれをもとに脚色されている。実在の人物を描いているけれど、内容は医学的に正確ではない、らしい。

 今夜わたしは、なぜか無性にロバート・デ・ニーロを見たい、と思ったのでデ・ニーロの出ている作品を検索した。するとこの『レナードの朝』が10月31日までの視聴となっていたのでこれにした次第。U-NEXT はときどきこのような期限付きの作品があるので確認しておかないと、後で見ようと思っていたら無くなった、ということになりかねない。

 この作品は1990年の作品だけれど、描かれているのは1969年の世界。神経精神医療は20世紀後半になって急速に発展したため、1969年というのはその発展途上段階。まだまだ未知の領域が多かったことだろう。そのため、原因がわからないまま「もう治る見込みがない」と診断されていたケースも多かったと聞く。単に狂気、狐憑きなどと恐れられた時代を抜け、病であるという認識はされたものの、隔離したまま生命を維持するだけ、という医療しか行われていなかった時代。そんな時代に、状況を打開しようと奮闘した医師の物語だ。

 時代はさらに流れ、1969年から作品が公開された1990年までの間にもいくつもの発展があり、さらに21世紀になり、より解明が進んでいる。特に、精神の病が脳の物理的な状態に影響されたものであるということがわかってきたことは非常に大きい。

 この作品に描かれているのは発展途上の医療における臨床の現実であろう。実際の患者と交流しながら病気を解明しようとする。症状が大幅に改善する喜び。それが一時的なものであったと判明する苦しみ。

命を与えて また奪うのが親切なことかい?

 この言葉にセイヤー医師の苦悩がにじみ出ている。束の間の快復。開かれた窓が再び閉ざされていく。その様を間近で見守る苦しみ。

 わからなかったのだから仕方ないと言えばその通りでしかない。わからないことをわかろうとする途上には、こうした苦しみはつきものであろう。そして今なお、わからないことは溢れている。正解のわからない問題を抱えて前進しているさなか、一進一退の攻防を繰り返していく。前進したように見える事柄が、あとで振り返ると後退の前触れでしかないかもしれない。

 なにごとも、わかるまではわからない。わかったようであっても、まだわかっていないことはいくつもある。この作品はその重さと、それを超えて前進する力を感じさせてくれる。

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涼雨 零音
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