見出し画像

わからないと思っていたことが仕事になるまで

未知のものへの憧れと挫折

 時は今からさかのぼることおよそ三十年。1990年代の前半。まだWindows も普及する前の時代に僕は高校生であった。仲良くしていた友達が「C言語」という本を読んでいて、文化祭で発表するエアホッケーのゲームを作っていた。僕も彼と「円と円の衝突をどうやって計算するのか」みたいな議論を紙に図や数式を書きながら考え、その友達が当時のパソコン、PC-9801 でプログラムを書いて実装した。
 かっけぇ、と思った。キーボードをカチャカチャやって文字だけの画面でプログラムを入力し、何かをするとそれが動いて画面に絵が表示される。僕らが挑んだ計算は学校の授業で取り組む数学よりも少しだけ難しく、僕らのエアホッケーは冗談みたいな挙動をした。円形のパックが枠の直線にぶつかって跳ね返る動作はそれっぽくなったが、円形のパック同士がぶつかるとわけのわからない結果になった。僕らはその画面を見てゲラゲラ笑いながら数式を直し、こうじゃないか? 適当なことを言ってんじゃないよ、こうだろ? 違うよアホ、などと言いあいながら少しずつ数式を直した。

 僕にとって数学は手に触れられるところにあったけれど、プログラミングは異次元だった。友達が入力している文字列が、僕らの前にある紙に書かれた式と同じものだということさえ僕にはわからなかった。

 この友達は高校を卒業して理工系に進み、自動車の開発者になった。対して僕は高校を卒業してバンドマンになり、インディーズでライブ活動をしながらいろんな音楽の仕事をするミュージシャン崩れみたいな状態になった。

 プログラマへの憧れの原点は彼だったと思う。パソコンが当たり前のものになり、日常的にコンピュータを使っていろいろなことをするようになり、作られたプログラムを使って何かを作っている自分と、そのプログラムそのものを作ったプログラマの間にある大きな隔たりをいつも感じていた。

 プログラミングをできるようになりたかった僕は、何度か入門書を買って挑戦し、そのたびに挫折した。入門書に書いてある内容にわからないことは一つもないのに、それを読み終えてもどうやってプログラムを作るのかが皆目わからなかった。足かけ十年ぐらい挑戦と挫折を繰り返し、僕は「プログラマが何を考えているのか、僕に理解できる日は来ないだろう」と結論した。

 同様に、長年音楽活動をしてきて、DJが何をしているのかも皆目わからなかった。僕にとってDJとプログラマは、二大「僕にはできない仕事」となった。

一向に見えない未来

 思えば僕が描いた未来は夢物語みたいな空想の域を出ないもので、まったく地に足が付いていなかったのかもしれない。未来のことを思い描いたことはある。でもそれは現実味のない嘘みたいな世界で、現実はいつも、想像したのとは違った。

 華やかなステージで喝采を浴びるようなミュージシャンを目指していた僕は、誰にも知られないような裏方で細々と仕事をしていた。大好きな音楽に関わって暮らしていて充実してはいたけれど、同時に趣味も仕事も全部近接領域にあることに閉塞感も覚えた僕は、当時もうブームが終わりつつあったVJ(ヴィジュアル・ジョッキー)を始めた。今で言うモーショングラフィックスみたいなものを作り、言わば映像を演奏するような表現だった。これがとても面白く、小さなイベントにVJとして出演したりもしたし、楽団の演奏会で映像演出を担当したりもした。この関係でセミプロのDJの人たちと知り合い、DJが何を考えて演奏しているのか、少し垣間見ることができた。

 音楽の仕事をしながら趣味で映像を作っていた僕は、三十歳になるタイミングで映像の仕事に就職した。ついに音楽の仕事から離れ、CGのクリエイターになった。

 まさかこのようなことになるとはまったく想像していなかったけれど、それでもまだ、CGクリエイターは僕にとってそれほど異次元の仕事ではなかった。一見音楽とは遠いようでありながら、ロジックとアートが混ざり合って表現になり、時間を伴う表現の中にリズムがある。VJ で映像を「演奏する」という感覚を持っていた僕は映像全般を音楽のように捉えていたので、ここまでは想像していなかった未来ではあったものの、想像できないほど遠いものではなかった。

ある日突然理解が訪れる

 音楽を志して音楽の仕事をし、趣味で映像を始めたら今度は映像が仕事になった僕は、映像の仕事をしながら改めてプログラミングに挑んだ。何度も挫折して一度完全に諦めてからの、再度のチャレンジだった。

 三十歳にして初めて就職を経験した映像の仕事を辞めたとき、僕はパソコン教室みたいなところのプログラミングのコースを受講した。先生はカブトガニ的生きた化石みたいな人で、ものすごく古い時代からやっているプログラマだった。教えている内容は完全に時代遅れであり、プログラミングコースとしてはどうなのかと思うような話ではあったのだが、このレガシー技術の観点からの説明が僕に新たな視点をもたらした。この時初めて、僕はコンピュータというものがどうやって動いているのかを理解した。目からウロコとはまさにこのことであった。

 プログラミングの基礎が分かった後、プログラマとしての発想ができるようになるためにどうすればいいのか、相変わらずわからない状態ではあったのだが、プログラムを書いてコンピュータを動かすということの意味が少しわかったことで、この世界が異次元から隣の国ぐらいまで近くなった。

 僕はプログラミングの勉強会みたいなものに参加してみることにした。百戦錬磨のエキスパートみたいな人が集まる勉強会に行ってみると、基礎的な内容をやっていても飛び交う雑談が大変なことになっている。ジョークまで全部プログラミングに絡まっていた。ここには数学科の大学院に通っているという理解を超えた数学のエキスパートもいて、ちょっとしたものの考え方一つをとっても僕が今までまったく見たことがないようなアプローチをする人たちだった。

 この人たちが交わしているジョークで笑えるようになったとき、僕は自分がもうこっちの世界にいることに気づいた。こんなことをやりたい、と思ったらそれを実現する道具をあっという間に作れるようになっていた。

 僕の仕事は映像を作る仕事から、映像の制作現場で使うプログラムを開発する仕事に変わった。映像作品のエンドロールにプログラマとして名前が載ったりもした。

 こうして、少々特殊な分野ではあるものの、僕は自分には絶対にできないと思っていたプログラマという仕事をしている。これは想像していなかった未来というだけでなく、想像することすらできなかった未来だ。完全に不可解だと思っていたことが理解できるようになり、ちょっと前には皆目わからなかったことが今はすぐに実現できる。

さらなる未来の自分へ

 では今、これから先を想像するとしたらどうだろう。僕はどんな未来を思い描くのだろう。

 こう書いてみて、想像しようとしてみた。でもできない。想像ができないのではなく、想像することにもう意味を感じない。僕は自分のアンテナにひっかかるものに取り組み、面白いと思うことを掘り下げながら進んでここまで来た。思えばわけのわからないところまで来たものだ。高校生の僕に話したらきっと目を回すだろう。

 今この瞬間にも、僕は未知のものにワクワクしている。明日なにか得体のしれないものに興味を持つかもしれない。

 想像しない未来。想像することをやめた僕に訪れる未来。未来はわからないから面白い。たしかなことは、明日も僕は何かにワクワクしているだろうということ。

 最後に、十年後の自分に向けてメッセージを残しておこうと思う。

十年後の僕へ。
 還暦が見えてきて、君はいったいどんなことをしているのだろう。何を面白がっているのだろう。きっと還暦になったらこれを始めるぞ、みたいなものを見つけているだろうね。もしかしてDJ になってたりして。
 きっと君のところではもう次男が二十歳になるね。親子みんなで酒飲んだりしているだろうか。君も覚えているだろうけど、今僕のところで十歳の次男は「早くお酒飲みたい」って言ってるよ。
 不思議と、十年後の自分に聞いてみたいことは無かった。なにをしているのか興味はあるけれど、なんであれ、君は間違いなく楽しんでいるだろうし、充実しているだろう。これまでも充実していなかったことなどなかったからね。きっと年甲斐もなくド派手な服なんか着てるのだろうね。
 このメッセージはここへ置いておくよ。覚えてたら読みに来てくれ。

2024.11.15 涼雨零音

十年後の僕への手紙


いいなと思ったら応援しよう!

涼雨 零音
いただいたサポートはお茶代にしたり、他の人のサポートに回したりします。

この記事が参加している募集