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読書日記『コルヌトピア』

植物を計算資源へ。
そんな考え方があるのかと感銘を受けた。
もちろん、フィクション小説の中なので現実ではないが、可能性はあると思わせるほど私は物語の中に入り込んでいった。

近年、植物の在り方が見直され、緑化が義務づけられたり、大切にされたりするようになった。緑のカーテンを施したビルや、小さな木陰を都市内でも見ることが増えたのではないだろうか。
しかし、そのような緑があったほうがいいと感じる人は多くとも、必須だと感じる人はまだ少ないように思う。

私は、自然が大好きだ。だから、緑溢れる都市への道は物語のような方法でも実現できる可能性があるのかと衝撃であった。

小説の中で植物は、人に計算資源化されることで都市に必要とされた。
アナログな植物にデジタル社会のための役割を持たせたと言えるだろう。
(余裕があれば“計算資源”の持つ意味を調べてみると小説の味が少し変わるかも。)

じゃぁ、人間は?
お話はそんなことを私に思わせた。

人間だって植物と同様にアナログだ。
人間もデジタル社会に溶け込んでいくのか。それとも、人間はあくまでデジタル社会使用側にいるのか。
たくさんの便利なデジタル製品が発表されるこの世の中。
私は、私達は、どの道を行くのか。楽しみな気持ちと不安な気持ちが混ざる。
きっと、小説のような世界がつくられるルートもあるのだろう。

noteを綴っている今、目の前にはパソコンとスマートフォン、そしてハードカバーの小説がある。
紙媒体の小説はどんなにデジタル化が進んでも、残っていてほしいと私は密かに願っている。


『コルヌトピア』
これは本のタイトルである。これだけを見ると何のことだか分からない。
私は緑化について関心があるので、冒頭のような感想を持ったが、そういうお話ではないという事だけ断っておく。
すごく読み応えがあり、面白い本だと私は思う。

舞台は2028年の東京。
現代では想像もできないようなシステムで動いていた。

あらすじ

2084年、人類が、植物の生理機能を演算に応用する技術〈フロラ〉を生み出した未来。東京は、23区全体を取り囲む環状緑地帯(グリーンベルト)によって世界でも群を抜く計算資源都市となっていた。フロラ開発設計企業に勤める青年・砂山淵彦は、多摩川中流で発生したグリーンベルトの事故調査のなかで、天才植物学者・折口鶲(おりくち・ひたき)と出逢う。首筋につける〈角〉―ウムヴェルトと呼ばれる装置を介してフロラの情報処理を脳に描出(レンダリング)する淵彦は、鶲との仕事の最中に突如意識を失ってしまう。混濁する意識の中で思い出される、藤袴嗣実(ふじばかま・つぐみ)という少年と過ごした優しき日々。未来都市に生きる三人の若者たちを通して描かれる、植物と人類の新たなる共生のヴィジョンとは?
Hayakawa Onlineより
https://www.hayakawa-online.co.jp/shopdetail/000000013722/

『コルヌトピア』

著者:津久井五月

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