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2022.5.30 悪魔はいつもそこに

昨日の日記に書いた通り、結局朝方4時頃に寝た。
課題はこれ以上やってもどうにもならないなという出来。
自分の部屋に行こうと階段を登っていると、郵便配達の人が家のポストを開ける音が聞こえてきた。
6時に起きなければ間に合わない日なので、1時間半少し眠れたけど上手く寝付けなくて、結局30分も寝ていなかった。
そのうち家族が起き出して、流しを使う音や洗面器を回す音がしてハッと目を覚ます。
AM6:13起床。

毎朝前日に学校の準備をしておけば良かったと後悔する。
家を出る直前になって、授業で使う資料のコピーを取り忘れていたことに気づいて大慌てで準備する。
髪を梳かす、靴下を履く、コピーを取る、を同時にやって家を飛び出した。

駅のキオスクでリポビタンDを買って、電車を待ちながら飲んだ。
リポビタンDのレトロなラベルと瓶の形が好きで、味は小さい頃の咳止めシロップに似てると思っているけど、あまり共感を得られない。

月曜日の大学は、1週間の中でいちばんつまらない。
つまらないわりに講義のラインナップとしては重いものが集まっているので毎週憂鬱。

いちばんきついのは4限のドイツ語で、ドイツ語に対する興味はあるけれど、いつも時間的に眠気のピーク(4時まで起きてたし)が来るので、シャーペンで自分の手をつついたりしながらなんとかやり過ごした。
ドイツ語の単語は全部、何か甘いお菓子の名前みたいで可愛いと思う。
文法は可愛くない。

5限の教職関係の授業は、講堂の入り口で鉢合わせた友人が帰ると言うので一緒に帰った。
課題の提出をもってして出席、というコロナ禍方式を全対面になった今でも採用している授業なので、そうなってくるとサボり癖がついてよくない。
来週は出ます、と心の中で一言。

明日も学校だっけ、とわかりきった確認をしあって友人と別れる。

これは本当にどうしてか分からないし、本当に、なんで、という気持ちになるんだけど、どうしてお金がない時に限って無駄遣いをするのか。
スタバでバニラフラペチーノ、チョコソースとチョコチップ追加、クリーム増量(605円)を買って飲んだ。
昼ごはん代わり、という建前。

スタバの生クリームは不思議な甘さでとでも美味しい。多分、トールサイズのカップ全部に生クリームをいれられても飲めるはず。

最近、毎日ちょこちょことお金を使ってしまうので後悔。反省。
多分先月、どれだけお金を使わずに生活できるか、というデスゲームを勝手にしていたせいで、その反動がある気がする。
(月曜日にフランスパン220円を1本買って切り分け、それで1週間分の昼食を賄うなどしていた。)


夜中に課題を進めながらNetflixで「悪魔はいつもそこに」という映画を観た。
(ながら観は邪道と言われるかもしれないけどすでに視聴済み作品なので許してくだい…)
ほんの少し希望を見出した者から死んでいく展開が観ていて辛い。
主人公のうちの一人(群像劇的な映画)のアーヴィンは善良で、傷を抱えた家族とともに、ひとりひとりなけなしの温かさを持ち寄り合うようにして慎ましく暮らしている。
間違いなくこの映画に出てくる人間の中でいちばん善良で、本当に何ひとつ過ちを犯していないのに、ドミノ倒しのように暴力と破滅の連鎖に巻き込まれ、最終的に4人の人間をその手にかけてしまった。
正義なんかなくてひたすら即物的な暴力の円環がなされていく、初めは妹の復讐のために手を汚したアーヴィンも途中からは「殺らなきゃ殺られていた」というふうに保身の意味合いが増していく。
やむを得ない、と思ってしまった。
被害者側にいた人間が、やむを得ない事情から結果として加害者にまわってしまうこと、もしかしたらよくあることかもしれない…。

最後ヒッチハイクでどこかへ向かいながら未来のことをあれこれ希望的観測で夢想するアーヴィン。
前述の通りこの映画では希望をほんの少し見出した者から死んでいくので、眠気に耐えられず欠伸しているアーヴィンに対して何となく不吉な末路を連想してしまった。

重苦しく絶望感漂う内容だけど、不思議と観たあと引きずるタイプの映画ではない。
むしろ淡々とした語り口でストーリーは進んでいく。

この日記は帰りの電車で書くことに決めた。
満員電車。

明日は午後から大学だけど、課題が終わっていないので多分また4時頃に寝てゆっくり起きて、いそいで学校に行くと思う。

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