○○の日って何のため?
「ねぇ、ねぇ、今日のgoogleいつもと違う。」
今朝PCを開いた弟から言われた言葉です。
今日、3月8日は国際女性デーです。私はwomanプロティアンに所属していることもあって、知っていたのですが、「何の日か調べてごらん」と話しました。
数分後、
「国際女性デーだって~。前から思ってたんだけど、○○の日作りすぎじゃない?」「男性デーはないの?」
という返事が返ってきました。
国際男性デー、もちろんあります。11月19日です。
でも、今回焦点を当てるのはそこではなく、
「国際女性デーだって~。前から思ってたんだけど、○○の日作りすぎじゃない?」という質問。
私も以前全く同じことを思っていたので、思わず笑ってしまいました。
さて、ここからは私なりの回答です。
私は、今ある社会の不平等を考え直すためのテーマとして「○○の日」があると考えるようになりました。
この「不平等」について、もう少し考えてみます。不平等を改善するために私が目指すべきは中立だと以前は信じていました。しかし、中学・高校・大学と、自分なりに考える機会が増える中で、最近はそうではないのかもしれないと思うようになりました。
大人数がマジョリティ側からマイノリティ側に歩み寄れば、例えその歩み寄りが少しであっても平等に近づきます。しかし、マジョリティが圧倒的かつマイノリティ側への歩み寄りが薄い場合、少人数で平等に近づけるには、より大きくマイノリティ側に歩み寄ることが必要ではないでしょうか。(てこ、シーソーで左右均等を目指す問題のように)
私も、すべての「○○の日」を知りません。ですが、だからこそ知ることのできた○○の日にはそのことについて考え、できるだけ行動に移すように意識しています。
知って、考えて、行動することが明るい1日につながることを願って。
以前、母から言われた言葉を弟には返します。
「なんでだろうね。考えてごらん。もし答えが出たら聞かせてね。」