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発達障害を受け入れて(6)

過集中


かしゅうちゅう、と読む。
集中が過ぎるということだ。
 
その言葉を医師から聞いたとき、ピンとこなかった。
ひとつのことに熱中するあまり、他のことがおろそかになる。
 
記憶力がよくて、なんでも天才的に憶えるけれど、いろいろなことを並行してやれるという人のことは過集中とは言わない。
 
例えば、ゲームをやり始めたらやめられなくて、無理にやめさせたりすると怒ったり暴れたりするくらいゲームが大事になってしまうこと。
 
例えば、おしゃべりに熱中するあまり「しゃべる」ということ自体が目的になってしまい、題材はなんでもよいからひたすらしゃべり続けてしまう。話すことが途切れると不安になるのか、同じ話題を二度続けてしまったりする。
相手が聞きたい話なのか、疲れていないかとか、気にすることもできずに何時間でも話し続けられる。
 
例えば、好きな番組を見始めたらずっと何時間でも(前に見たものでも)見続けられる。話しかけられても、頭は見ているものに支配されていて、生返事が返ってくるがそのことを憶えていない。
 
そのかわりに、やりたいことが見つかると、寝ないでも疲れていても続けることができる。疲れてきて集中力が落ちることなく、ゾーンに入るみたいになるらしい。
編み物を始めたら毛糸の山、ネイルを始めたらネイルチップやジェルネイルの山。それを活かせる仕事に就けばいいと思うのだけれど、仕事にするとやりたくなくなる。
 
発達障害と言われてすぐの頃は、娘自身も私も「過集中」に理解が及ばなかった。

車の運転をしているとき、おしゃべりに夢中になると信号を見落としてしまうというようなことが起きて、運転中はおしゃべりをさせないようにしたり、心配事があるときは運転を控えさせるときもあった。
運転の習慣がつくまでは私が隣に乗って注意をしていたが、私自身が運転免許を取得していないため勉強しなければならなかった。

危険なことをしたとき、その場で注意をすると娘はショックで頭の中が真っ白になって、家まで運転するのが大変になってしまった。その場ではやんわりと話して、家に帰ってからなにが問題だったのか反省会をするようにしていたが、私も好きでしていたわけではなかった。

娘は発達障害を発症するまでは、自分で運転して大学に通っていて大きな問題を起こしたことがなかったので、そんな風になったのは就職先でのいじめで自信を無くしたことや、発達障害の治療薬が体に合っていなかったのではないかと思っている。

現在では運転の方に集中がいくようにうまく習慣がついて、安心して運転できるようになっている。
 
なにかに過集中している間はいろいろ失敗をしたりするから「過集中になってるよ」と認識させると、本人も気がついて一呼吸おくことができる。
「過集中」は使いどころを選べば、強みになるのではないだろうか。
 

親から育児放棄を受けていましたので、自分の子供は愛情深く育てようと頑張ってきました。ところが、子供が就職してすぐに発達障害を発病し、そこから長く苦しい時間が過ぎました。それらの日々を誰かに語ることなく過ごしていましたが、自分が苦しくなって、書き記したいと思うようになりました。