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No.20 面河ふるさとまつりはいつから始まったのか?

 皆さまこんにちは。、面河地区・地域おこし協力隊のくわなです。
 前回は資料紹介ということで、昭和33年に発行された「面河渓・石鎚山 探勝の栞」のおすすめポイントについてお話させていただきました。

(前回記事はこちら)

 さて、今回からは4週おきに記事をアップロードすることになりましたが、それでも時の流れが速く感じます……。

 季節もすっかり秋らしくなってきましたが、皆さま秋と言えば何を思い浮かべるでしょうか?

 そう、面河ふるさとまつりですね!!

 多少(?)強引に始めてしまいましたが、今回は面河地区で最も大きなイベントと言っても過言ではない面河ふるさとまつりが、いつから始まったのか、そしてどのような目的で行われているのか見ていきたいと思います。


ふるさとまつりって?

 面河ふるさとまつりは、毎年11月第2日曜日ごろに、面河地区で開催されているイベントです。かつては役場面河支所および面河住民センターで行われていましたが、昨年の第41回からは、面河体育館および面河小学校で開催されています。

 ホールやステージでは、小学生や地元の方による郷土芸能発表石鎚天狗太鼓演奏カラオケ大会などがある他、午後には歌手の方による歌謡ショーが披露されています。

 屋外では、森林組合や地元の有志の方による売店が出されており、地元の方が用意してくださっているうどんなどを食べることもできます。

 展示コーナーでは幼稚園児や小学生、中学生による作品が展示されている他、写真展や工芸展が行われている年も。他には一室まるまる使った移動博物館も楽しみなポイントのひとつです。

 運営は地元の方が中心ですが、かつて面河に住んでいた方たちがふるさとへ帰ってこられるきっかけにもなっています。
 そしてこのイベント、実は基本方針なるものが存在しています。(地元の方も始めてみる方が多いのではないでしょうか?)

 心の豊かさを求めて、生活にうるおいのある文化活動が進められ、ふるさとの文化・伝統芸能を継承保存し、さらに、文化作品を創造発表することによって、我がふるさとのよさを見直し、連帯感を高め、豊かなコミュニティー、村づくりを進めたい。

面河村誌(1980年)P730より

 このように、出身者にふるさとへ帰ってきてもらうことの他にも、地域の文化や伝統芸能、地域の見直し、コミュニティーづくりなど、「ふるさと」という言葉を多角的に捉え、それらを発展させていく目的で実施されているのが、面河ふるさとまつりなのです。

第23回ふるさとまつりの様子
(平成14年11月・面河村所蔵写真)



第1回は何年前?

 そんなふるさとまつりが始まったのは、今から46年前昭和53年(1978年)11月23日のことです。この時期は、かつて5000人近くあった人口が半分を下回った少し後であり、人口減少へのアプローチや、伝統文化の維持が課題として挙げられ始めた時期と重なります。

 第1回では、「見なおそう わがふるさと 面河村」のスローガンのもと、野菜などの販売物が住民の方から出されていたほか、住民の中から集めて展示コーナーなども設置されていました。

 ただ、イベント開始直後から注目度が高かった訳では無かったようです。(といっても予想以上の盛況とあったので、来客者数自体は多かったのかもしれません。)
 第1回の様子が紹介されている広報おもごでは、片側1ページの5分の1の範囲に、「お礼のことば」として文面で掲載されているのみでした。内容も細かなことは書いていませんが、初めての開催で準備不足な部分もあったようで、むしろそれらに対する反省文のような趣を感じさせられます。(一応こちらの号の表紙がふるさとまつりの写真だと思われますが、特に補足説明などもありませんでした(※1))

広報おもご第22号(昭和54年1月号)の表紙写真
複数のテントが住民センター周辺から、駐車場まで広げられており、にぎわっている様子がわかる。
(昭和53年11月・面河村所蔵写真)

 初め数年間は大々的には紹介されておらず、初めて片面1ページ+αで紹介されたのは、昭和58年(1983年)第5回となります。憶測ですが、この頃から村にとっての重要なイベントとしての位置づけを確立したものと考えられます。

 この頃には、出身者の集まりである同郷会(現在は解散)に案内を行い、送迎バスなどを用いて大勢が訪れていたようです。
 各コーナーの入賞者についても記載があり、のど自慢、写真(数部門あり)、葉菜や根菜類、絵画、木工、俳句、手芸数部門、その他もろもろの部門があったようです。(現在はこの入賞というシステムは無くなっており、当時の盛り上がりを感じさせる部分でした。)


平成時代の思い出

 ここで、私の幼少期である平成中期頃のふるさとまつりの様子をご紹介させていただきます。(ここに残しておくことで、一時代の記録にできればと思います。)(あと平成時代という言葉にとても違和感を覚えますが、平成時代と表現する他ありませんでした。時代の流れを感じます。)

 当時の開催場所は、初期と変わらず面河村役場および面河住民センターでした。第1回写真と同じように、役場下の駐車場にもブースがいくつかあり、この広場で獅子舞を披露したのを覚えています(※2)

 小学生の演目は「面河万歳」で、合いの手や扇子を使っての踊り、太鼓などを担当していました。(上記の目的通り、子どもたちににもしっかり地元の伝統が伝わっていたのですね。)

 当時は移動博物館と森林組合のコーナーに木工作品などを作れるエリアがあり、よくわからない棚のようなな何かや、リースを毎年作って遊んでいました。

 演歌歌手の方も毎年来られており、現在では紅白歌合戦の常連になっている水森かおりさんが来られていたことも記憶しています。

 他にももちまきの景品をもらうために長蛇の列に並んだり、社協さんのブースで風船を膨らますお手伝いをし(ながら何個も割っ)たり。ハレの日ということもあり、数々の思い出が残っています。

こちらも第23回の様子
旧面河村庁舎2階からまかれるお餅を拾っている場面
(平成14年11月・面河村所蔵写真)

近年のふるさとまつり事情

 第40回のふるさとまつりがあった令和元年度の翌年以降、新型コロナウイルス蔓延の影響を受け、4年間の休止期間を迎えることとなりました。その間にこれまで会場として利用されていた旧役場庁舎(この時点では役場支所)が取り壊されています。

 コロナ禍が過ぎ、復活させるかどうかそのものが議論になりましたが、令和5年の夏前になり、地域のにぎやかさを取り戻すために復活を決定。同年の11月12日に第41回のふるさとまつり開催にこぎつけました。

 旧庁舎が取り壊された関係で、会場が面河体育館と面河小学校に変更したり、人数の減少でブースの規模を縮小したりということはありましたが、天狗太鼓、カラオケや舞踊の発表、小学生の万歳の発表(扇子での演技のみ)、川野夏美さんによる歌謡ショー、写真やかまぼこ板などの展示コーナー、かつて大人気を博したシイタケの摑み取り、景品付きもちまきなどを実施することができました。

 この回には私も久しぶりに参加させていただき、天狗太鼓、舞踊コーナーのつなぎのカラオケ、昭和の歴史をまとめた年表のパネル展示など、様々な場面で関わらせていただくことができました。


こちらは第41回の餅まき直前の写真
久しぶりの開催だったが大勢の方が集まってくださった
(令和5年11月撮影)



まとめ

 今回は、ふるさとまつりの始まりや概要、かつてのまつりの様子から最近の事情まで簡単にお話させていただきました。

 今回の記事をまとめる際に、第5回のふるさとまつりを紹介している広報を読んでいると「毎年十一月第二日曜日を面河村のふるさとまつりとして定着すること」をお願いとして掲げていました。今後もぜひ盛り上がるイベントになってほしいし、私もそのお手伝いをさせていただけたらなと思います。

 そして!!!
 本年度も第42回面河ふるさとまつりの開催が決定いたしました!!!

 私も天狗太鼓の他、今年は平成・令和のできごと年表を制作予定ですので、多くの方に見てもらえたらと考えております。そして今年は、沖田真早美さんによる歌謡ショーも開催されます!!

 詳細については下記のポスターからご覧ください。


 この記事を読んでくださっている皆さまとも、会場でお会いできることを楽しみにしております。 
 ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。

【注釈一覧】

(※1) こちらの号に限らず、初期数年間は表紙写真の説明文は掲載されていない。
(※2)厳密には私が演じたのは獅子舞ではなく、獅子舞を仕留める”獅子起こし”の役だった。

【参考文献】

・面河村誌(1980年・面河村)
・石鎚の聖流郷おもご 2003面河村村政要覧(2003年・面河村)
・閉村記念誌 刻を超えて(2004年・面河村)
・広報おもご縮刷版 昭和50年~平成4年(2004年・面河村)



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