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3歳、愛を知らないままで。
3歳の頃の記憶を辿ると、胸がぎゅっと締め付けられるような思いがします。
家にはいつもひとりきり。昼も夜も。
暗くなっても、誰も帰ってこない部屋が嫌いでした。
夕ごはんは冷凍庫の中にあった冷凍ハンバーグがひとつ。
誰かが作ってくれたわけでもなく、誰かと一緒に食べるわけでもないそのハンバーグを、3歳の私は一人きりで食べていました。
寂しさを忘れたくて、私はグルメ番組のレポーターになりきったふりをしていました。
「これはすごい!うーん、おいしい!」
まるで観客がいるかのように一人で演技をしながら食べるのです。
子どもながらに必死で寂しさを埋めようとしていました。
そんなある日、隣のアパートのお友達の家でごはんをご馳走になったことがありました。
その日の食卓にはすき焼きが並んでいました。
甘じょっぱいタレの香りが鼻をくすぐり、湯気の立つ鍋の中でお肉や野菜が踊る光景に、私は目を奪われました。
一口食べると、そのおいしさに心がふわりと温かくなるのを感じました。
ずっとここにいられたらいいのにと、何度も何度も思ったことを、39歳になった今でも覚えています。
歯も虫歯だらけでした。
友達の白い歯と比べると、自分の歯が黒くてボロボロなのが恥ずかしく、いつも口元を手で隠していました。
歯磨きを教えてもらったことも、母親に磨いてもらった記憶もありませんでした。
振り返ると、私が抱えていたのは「自分はなぜこんな扱いを受けるのか」という疑問でした。
どうしてこんなにも置き去りにされていたのか。
愛された記憶が見当たらない。
どんなに探しても、暖かい言葉や優しい仕草の記憶は、私の中にはひとつも残っていませんでした。
そして、大人になり、自分に子どもが生まれて初めて気づきました。
「ああ、私は愛されていなかったんだ」
その事実に気づいた瞬間、すべてが腑に落ちました。
両親の冷たさや無関心、孤独に置き去りにされていた理由
――それはただ、愛されていなかったから。
その一言ですべてが説明できました。
どんなに泣いても、どんなに頑張っても、私が求めていた「愛」は届かないものでした。
愛されていなかった。
その答えを見つけたことで、ようやく長い間の苦しみから解放された気がしました。
けれど、心のどこかにぽつんと残るのは、愛を求めて必死だった幼い私の姿です。
ひとりでハンバーグを「おいしい」と言いながら食べる私。
誰かの笑顔を求めて、でも得られず、静かな部屋で泣きながら眠った私。
そんな自分を思い出すたび、胸が痛みます。
3歳の私に会えるなら、伝えてあげたい言葉があります。
「あなたは愛される価値があるよ」と。
今、私には子どもがいます。
彼女の小さな手を握るたび、あの頃の自分が思い浮かびます。
だからこそ心の中でそっとつぶやきます。
「もう大丈夫だよ、今の私は君を絶対に一人にはしないから」と。
私のように、愛されなかったと感じてきた人がいるかもしれません。
それでも、その傷を抱えながらも生きてきた自分自身を、いつかそっと抱きしめられる日が来ますように。
そんな願いを込めて、この文章を書きました。