待ってくれる人がいる、場所がある
うつ病になったプロの将棋指しの書いた体験談を読んだ。わたしも、今も治療を続けている病気なので、気持ちがよくわかる。
病気になると、まず心よりも先に身体が言うことをきかなくなった。
ふだんできていたことができなくなる。その状態がうまくコントロールできなくて、薬を飲んでいてもその調整ができない状態が続く。
それが長くなるにつれて、どんどん気持ちがふさぎ込んでいく。
自分には、なんの価値もない、と思う気持ち。
誰からも必要とされていない、と思う気持ち。
0か1かの思考に陥ってしまって、そこから抜け出せない。
そんなときに、かけてくれた言葉に救われた。
「待ってます」という一言が嬉しかった。
これは、先崎九段がかけてもらった言葉だ。わたしも、同じような言葉に何度も救われた気がしている。(正確にはよく覚えていない)
「おかえり」
「待ってるよ」
「またね」
帰ってこれる場所がある、待ってくれる場所がある、また来ていい場所がある。そこには、待ってくれている人がいる。
そのことの温かさ。
実際に、病気の真っただ中にいるときは、その温かさに触れても、うまく感じることができていなかったかもしれない。
病気とそれを治す薬は、いろんな感覚・感触をぼんやりとさせる。
ずっと、頭のなかに薄い膜のようなものがあって、それが思考や感情を麻痺させている状態だったから。
その薄ぼんやりした膜は、わたしを激しい感情から守ってくれるものだったけれど、日常のささいな感覚をも確かに奪っていて、そういう温かさや優しさに気づけていなかった。
そんな状態で、感情のない反応しかできないわたしを、それでも待ってくれた人には、本当に感謝しかない。今になって、そのことのありがたさを感じる。
そんな場所がある、そんな人がいる、ということの安心感が、どん底の気持ちを支えてくれていたのだと、今は思う。
鬱の人に、「寄り添う」「優しくする」「頑張ってと言わない」。だけど、どうやって接すればいいのか分からない。そういう人もきっといると思う。
無理に慣れない言葉を探さなくても、いつものカンタンな言葉でいい。
いつもどおりの「おかえり」「待ってます」「またね」というつながりや居場所が感じられる言葉が、とても優しく寄り添ってくれるから。