世界の武勲艦 6 武勲無き戦艦「コンテ・ディ・カブール」

◆カブール伯爵(コンテ・ディ・カブール)祖とするイタリア海軍装甲艦史
 地中海の中央部、イタリア半島とシチリア島を領土とするイタリアは、古くは強大かつ先進的な文化を誇ったローマ帝国で知られる。しかし、ローマ帝国崩壊以降は移民族の支配、そして都市国家による分裂した統治により、長らく統一国家を構成することができなかった。ようやくイタリアが統一されるのは、日本の明治維新とほとんど変わらない頃のことだった。
 イタリアの統一に大きな役割を果たしたのが、サルディーニャ王国だった。1852年首相となり統一を具現化するために外交的手腕を発揮したのが、発揮したのが、カブール伯爵(コンテ・ディ・カブール)カミッロ・ペンソであった。カブールは海軍には縁がなかったが、イタリア諸国の統一と、の最大の敵、オーストリアに対抗する必要から海軍の整備を進めた。
 クリミア戦争の経験から装甲艦の必要を認め(当時世界に装甲艦はフランスの「グロアール」しかなかった)、フランスに装甲艦「フォルミダビーレ」と「アリビーレ」の2隻を発注したのである。これがイタリア戦艦史の始まりとされる。カブールはその完成を見ずに没したが、その後継者たちは短期間に14隻もの装甲艦を建造した。これらの多くは仏米英に発注され、イタリア最新技術をもたらすことになった。
 しかし、1866年のリッサ海戦でオーストリア海軍に大敗して弱体化した。しかし、フランスがイタリアのローマ教皇領占拠に介入したことが海軍の再建につながる。自国の無防御の長い海岸線を守るために、攻撃力、防御力に優れ、いつどこへでも急行できる高速力を備え、陸上支援の兵力も輸送しようという、イタリアらしい装甲艦が建造された。
 19世紀後半から20世紀にかけて、いわゆる前ド級戦艦の建造が進められた。これらイタリアの戦艦にはときに優れたアイデアが取り入れられていたが、コストが増大し建造期間はかかり、戦力化が進まなかった。実は世界の戦艦史を変えたド級戦艦のアイデアも、イタリア人が最初に提示したにもかかわらず、イタリア国内ではあまり評価されなかった。ようやく、最初のド級艦「ダンテ・アリギエーリ」が起工されたのは、ようやく1909年のことだった。
 「ダンテ・アリギエーリ」は、三連装砲塔を採用し、それを中心線上に4基並べていた。ロシアの「ガングート」級と同じ(というか、「ダンテ・アリギエーリ」の設計図が持ち込まれたらしい)だが、イタリアでは1隻の建造で終わり同型艦は無かった。その理由は同艦の完成の1年前にオーストリアが「フィリプス・ウニーティス」を完成しており、それに対抗する必要からであった。

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