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僕らの追い求めてきた虹は…――映画 ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会完結編 第1章

そうです! かみなりひめです。

お待たせしました。
いや、お待たせしすぎたかもしれません(?)

さっそくですが、語っていきましょう。
鉄は熱いうちに打たねばなりませんからね。

※ココから先はネタバレの森です※
※えいがさきをまだ観ていない方はスルー推奨!※


00. はじめに

では、さっそく本題に入りますヨ。

ラブライブ!
虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会
完結編 第1章
映画公開おめでとうございます!

“完結編” というネーミングに感情が揺れ動き、
さらには作画がけろりら氏となったことで荒れた、
えいがさきの第一作目でございます。

正直なところ、けろりら氏の作画だからといって
虹ヶ咲ではなくなるなんてことは微塵もなく、
「俺たちの虹ヶ咲だァ‥‥!」となりました。
(とはいえ、EDのめばち作画でホッとしたのも事実)

観に行ったその日は僕ラブ43のまさにその日。
そしてこの日は舞台挨拶がありましたよね。
そう考えると、この日に観たのはまさに天啓。

さて、そんな舞台挨拶を終えての
公式からのアツいポストは以下の通りです。

‥‥不肖ワタクシ、このポストを見て、
少々「むむっ」としてしまいました。

映画の冒頭には振り返り映像もあり、 今から #虹ヶ咲 に触れていただいても楽しむことができる映画となっています♥

(えいがさき公式Xのつぶやきより)

率直に、そして正直に申し上げますと、
そんなことは絶対にありません。絶対に、です。

このえいがさき第1章は、間違いなく、
ここまで虹ヶ咲を追いかけてきたファンに贈る、
最高傑作であるのですから――。

01. ブレることなきアニガサキの延長

そもそも、今回のストーリーは、
「いま一番推せるスクールアイドル」を選ぶための
イベントである「スクールアイドルグランプリ」へ
虹ヶ咲のみんなが参加するところから始まります。

ただ、メンバー間でも、参加へのモチベーションは
決して足並みそろったものではありませんでした。
その最たる例が、上原歩夢です。

ぽむは、自身がGPXへの参加を決めた理由を
以下のように述べていました。

たくさんの人に、私を知ってもらえる機会になるかもしれないし‥‥。

(えいがさき第一章での上原歩夢の台詞より)

この理由に対して「まぁぽむだもんな‥‥」と
すんなり理解を示すためには、アニガサキ第1期は
少なくとも追いかける必要があると思います。

ぽむは誰のためにスクールアイドルを始めたか、
そしてそれは作中でどのように変化していくか、
これらを分かっていないと、えいがさき第1章での
ぽむを理解するのは難しいのではないでしょうか。

同じように、エマ・ヴェルデについても、
なぜエマは赤嶺天ちゃんを救いたがるのか?
という問いについては、エマ自身がアニガサキで
他(の頑固な)者たちとどのように関わってきたかを
履修していないと、その答えは見えてきません。

(そしていつもハグしてくれちゃう)

このように考えてみると、
えいがさき第1章のキャラクター造形に関しては、
アニガサキからの連続性を強く意識しています

言い換えれば、
各キャラクターの個性や性格は、
アニガサキ時代から一貫してきているのです。

これが、
アニガサキから虹ヶ咲を応援してきたファンに
向けてのポジティブなメッセージでないなら、
いったい何だというのでしょうか。

02. サヴァイヴと「ヒトリダケナンテエラベナイヨー!」の狭間で

さて、アニガサキからの連続性・一貫性を
キャラクター造形の点から見てまいりました。

この連続性・一貫性というのは、なにも
キャラクターという一点のみについての話では
決してありません。

初期虹ヶ咲を語る上では欠かせないキーワードに、
ずっと「サヴァイヴ系」という語を置いています。

その歴史と変遷については、
以下の記事においてまとめておきました。

物語の舞台であるGPXというものの主旨が、
「いま一番推せるスクールアイドル」を決めること
にあるならば、これは立派なサヴァイヴです。

「いま一番推せるスクールアイドル」にどこまでの
価値があるかは置いておき、あえてその価値観を
信じて「一番」を競おうとしているわけですから。

そして、物語のなかで虹ヶ咲の面々も、
そのことに気づいてしまうわけです。

ただでさえ私たちは票が割れやすいんですし!

(えいがさき第1章での中須かすみの台詞)
(そしてこの日は個人行動になりました)

同宿の他校のスクールアイドルたちから
虹ヶ咲の弱点を指摘されてしまったことで、
中須かすみも「勝つ」ことに意識が向かいます。

そして、物語にも徐々に不穏な空気が漂います。
これは、これまで「サヴァイヴ」を知らないままに
虹ヶ咲を追いかけてきたファン心理と重なります。

いや、その時代を知っているファンでさえも、
ヒトリダケナンテエラベナイヨー!」なる台詞に
飼い馴らされ、順応してしまっていたのならば、
彼女らと同じ気持ちだったかもしれません。

でも、最終的にはいつものキーワードである
仲間だけど、ライバル。
 ライバルだけど、仲間!
」が、彼女たちの
在り方を決めてくれました。

結果、競い合うことはするけれど、
だからといって完全に敵対することはないという
共闘と協働を旨とした結論に到達します。
(その象徴が、サンゴのアクセサリーでした)

これは、「サヴァイヴ」を否定した結果として、
相対主義的な方向に走ってしまった虹ヶ咲の歴史を
知るファンならば、どんなに膝を打ったでしょう。

正直なところ、
「いい落としどころ見つけたなあ!」と
感心してしまった私でございました。すごいよ。

ここまでの虹ヶ咲の歩みを知っている者と
そうでない者とを比したとき、どちらの方が
えいがさき第1章を楽しめるかは言わずもがな。

ここまで虹ヶ咲を好きでいてくれたファンへの、
公式からの感謝を込めたアンサーなのでした。

03. 上原歩夢と砂時計

さて、ここまでの話を踏まえたうえで、
今回のえいがさき第1章で触れておきたい描写を
ひとつ取り上げてみます。

それは、物語最終版の上原歩夢の歌唱シーン。
新曲の「Stellar Stream」が初披露でした。

(網タイツ!!!!!)

この歌唱に至る前、ぽむはあることについて
悩んでしまっていました。

それは、時間の経過につれて、侑ちゃんも自分も、
そしてみんなも変わってしまうこと。
同好会のみんなも、さまざまに変わっていくことを
GPXを通して実感してしまったのです。

その悩みを経ての「Stellar Stream」披露でした。
このぽむの苦悩を表すために、
歌唱中は実に多様な演出が組まれています。

たとえば、アニガサキから劇場版NEXT SKYまでの
衣装が、時系列順に並んでいくシーンによって、
流れゆくぽむの時間を表現しています。

さらに、同好会のメンバーがステージへと
上がっていくのを後ろから見送るような描写は、
メンバーたちが成長して変化していくのに対し、
その後塵を拝していることを表しているでしょう。

そのような演出のなかで、今回注目したいのは
やはり「砂時計」の描き方です。

曲冒頭では、砂時計上部から下部へと向かって、
とめどなく砂が流れていきます。
これは、時間の流れの表現に他なりません。

しかし、この砂時計はサビ前に破壊され、
中の砂が飛び散ってしまったかと思いきや、
ぽむの周りを煌めき始めるのです。

(分身ぽむの辺りの黄色いやつです)

これはすなわち、
悩みながらも歩んできた上原歩夢の時間を、
いま・ここにいる歩夢が内包して歩むことによって
「上原歩夢」が存在しているのだということです。

どんなステージで、どんな周辺環境であっても、
いままで歩んできたその道のりの最終地点には
必ずいまの自分がいるのです。

そして流れてくるエンディング曲は‥‥、

虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会
「どこにいても君は君」

もうね、最高すぎる流れでした。
いまの虹ヶ咲が出せる、最高の「答え」が、
このえいがさき第1章には詰まっていたのでした。

04. おわりに

ワタクシの推しを紹介します。
宮下愛、朝香果林、三船栞子です。
みんな、第2章からの登場キャラです。

そして最後に嵐珠母と会話しているのは、
見覚えのある銀髪をしたひとりの女性。

いかんせん続きが楽しみ過ぎるのでした。

(好きな女たち①)
(好きな女たち②)

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