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私が生徒に「正義」を語らない理由

文化祭の学級新聞コンクールで、3年生のメンツを守るために不正行為に加担した3学年の先生たち。

しかし、本当に守りたかったのはメンツではなく・・・


発想力は得難い資質


先日行われた東京都知事選で、NHK党の立花孝志氏が行った

「掲示板ジャック」


内容についてはいかがなものかと筆者も感じていますが、選挙規定には一つも違反しておらず、法的に罰することはできないらしいです。

応援はできませんが、立花氏の発想力にはいつも驚かされ、
次は何を仕掛けるのか楽しみではあります。


筆者の義父と義兄は、趣味でソーラーカーのレースに出場していました。

義父はよく言っていました。

「勝負はまずレギュレーション(レースの参加規定)を読み込むところから始まる。規定で守るべきところと、禁止されていないことを確かめて、少しでも自分たちに有利なセッティングができないか考える。

禁止されていないことは、やってもいいこと!

その穴を見つけて活かせるかどうかが勝負!」


法律や規定の抜け穴を探して出し抜く


そう言ってしまうと聞こえは悪いですが、
こういう発想をできる人が勝負や競争に勝ったり、
新たな価値観を生み出したりするのではないでしょうか?

実社会でも役に立つ、得難い資質だと思います。


筆者が担任したクラスの子どもたちにも、革新的な発想で結果を出し続けたすごい子たちがいました。

その学校では、文化祭に「学級新聞コンクール」というものがありました。

クラスで起きたことや取り組んできたことなどを、
模造紙1枚にまとめて展示します。

全校生徒は展示された新聞を読み、
自分のクラス以外で一番良かった新聞に投票します。

その得票数によって1位から3位まで表彰されるというものです。


筆者のクラスは2年生ながら、内容も充実していたし、色づかいや
レイアウトも工夫されていて、なかなか良い新聞を作りました。


なによりも、新聞の紙面自体をビニールテープや段ボールで作った星などをつけて装飾して、とびきり目立つように工夫していました


紙面自体を装飾したクラスはいまだかつてなく、
画期的な筆者のクラスの新聞は注目を集めました。



しかし、文化祭の表彰式で順位が発表されると、筆者のクラスの新聞は3位という結果でした。


1位と2位は2クラスあった3年生がそれぞれ順当に受賞していました。


まあ、相手は3年生だし、3位でも賞状はもらえるからいいか・・・


筆者も生徒たちも、賞状がもらえたことを素直に喜んでいました。




教師も加担した3年生の不正


ところが、何カ月もたってから、信じられない話を生徒から聞きました。



新聞コンクール、実は筆者のクラスの新聞がダントツの1位だった

でも、生徒会役員の3年生が結果に納得がいかなくて、

「紙面を装飾して目立たせて、票集めをするなんてルール違反だ!」

「あんなずるをして1位になるなんて、許されるはずがない!」

と騒ぎ出し、得票数を公表していないのをいいことに、
筆者のクラスを3位に繰り下げ、
自分たち3年生が1位と2位になるように不正を行っていた。

そして、



3学年の先生たちもその場にいて、順位の入れ替えを承諾した。





筆者に話してくれた2年生のAさんは、
3年生のある役員から聞いたそうです。


その3年生は、ずっとあんなことをしてよかったのか悩んでいて、
罪の意識に耐えられなくなって、Aさんだけに打ち明けてくれたそうです。


Aさんも、この事実が広まれば、学校全体が大変なことになってしまうと
心配して、筆者にだけ相談に来てくれたのです。



3年生が、「2年生の発想に負けた」という事実を、
受け入れにくいのはわかります。


だからといって!




教師までもが不正に加担していたなんて!





言うまでもありませんが、筆者のクラスの子たちは、

コンクールの規定をきちんと確認し、


禁止されていなかったから装飾を施したのです。


当然、ルール違反ではありませんし、

ズルも一切していません!


本来なら、

誰も思いつかなかった革新的な方法で成功を収めた、

生徒たちの発想力が賞賛されるべきです!



自分たちが思いつきもしなかった方法で、ものの見事に出し抜かれた。

それが悔しくて納得いかないから、3年生は不当に順位を入れ替えた。


そう思われるかもしれませんが、ことはそう単純ではありません。

もっと根深い問題を抱えているのです。



不正してまで守りたかったもの


授業をしていても、3年生はおとなしい・・・

というより、窮屈(きゅうくつ)そうな印象がありました。


「中学生はこうあるべき」


「3年生はこうあるべき」


そうした「あるべき姿」に収まるように、我慢しているようでした。

そして、


そう仕向けていたのは3学年の先生たちでした。


はたから見れば、3年生はお行儀もいいし、勉強も部活も生徒会活動も、

何事にもまじめに取り組む良い生徒たちでした。

そして、3年の先生たちが、

「それでいい!それでこそ3年生!」

と承認することで、

3年生たちもこれでいいのだと信じ込んでいたはずです。



対して、筆者のクラスの子たちは、

派手に笑って仲良く楽しんだり、

怒鳴り合いながらけんかしたり、

気に入らなければ先輩にかみついたり、

自由闊達(かったつ)でお世辞にもおとなしいとは言えませんでした。


まあ、担任からして、

何度注意してもロッカーにしまわないからといって、

その生徒のカバンを2階の教室の窓から中庭に投げ捨てる

ようなことをしていたので、子どもが枠に収まるわけがありません。


「あるべき姿」に収まるように、

日々真面目にがんばっている3年生からしてみれば、

好き勝手やっている2年生が、

発想1つで自分たちを上回る結果を出してしまう


これを受け入れるということは、

今までがんばって「あるべき姿」を実現してきた、


自分たちの努力や価値観を否定するようなものなのです。


15歳の中学生が、そこまで理解していたかはわかりませんが、

直感的に「認められない!」と強く感じたことは想像できます。



そしてそれは、3年の先生たちにとっては、さらに重大な問題でした。


自分たちが3年近くに渡って、

生徒に示してきた価値観

目指す生徒像

学年の経営方針、生徒の指導方針


筆者のクラスの成果や在り方を認めてしまったら、

そうした基盤が根底からひっくり返るかもしれない・・・



自分たちの指導方針について、生徒が疑問をもちかねない・・・


中学生としてどうあるべきか、生徒が迷いだすかもしれない・・・




それは大いなる脅威であり、恐怖であったはず・・・



だから、順位を入れ替えるという不正を承認してしまった・・・



生徒も先生も、3学年が不正をしてまで守りたかったものは、



今まで築き上げ、よりどころとしてきた価値観



だったのだと思います。




正義は揺るぎやすし


法廷などで法律を別角度から解釈した新たな発想で、
劣勢をくつがえして大勝利!

発想の転換や起死回生のアイデアで、一発大逆転!


そんなドラマやマンガ、みんな大好きじゃないですか。


実社会で働いていても、想定外のピンチはおそってくるし、

それをアイデアや発想の転換で解決できれば、

ファインプレー!として称賛されるじゃないですか。


そして「自分もそうなりたい」と、少なからず誰しもが思うものでしょう。


先生だったら、そんな発想ができる生徒になって欲しいと思うもの・・・


3年の先生たちも、きっと普段はそう思っていたはずです。




順位の入れ替えを認めた3学年主任は道徳大好き先生で、

担任する教室には、



「この学級に正義はあるか!」



というポスターが貼ってありました。






お前の正義はどこにあるんだよっ!!





と、当時は腹が立ちましたが、

同時に大切なことも教わりました。


「正義」とはとても揺らぎやすく、立場や環境、思想、信念などによって、

簡単にひっくり返ってしまうものであるということ。


順位の入れ替えを承認したとき、道徳大好き先生の中では、


「今まで培ってきた3学年の価値観を守ること」が、


「正義」だったのでしょう。


こういう展開も、ドラマなどで良く見ます。

「アンチヒーロー」でも、検察や警察で似たような展開ありましたね。


どこで目にしたか、耳にしたのか忘れましたが、

「戦争を起こす人間は、いつも正義を振りかざしている」

というフレーズを思い出します。


この経験をして以来、筆者は子どもたちに「正義」を語っていません。

その危うさを痛感したからです。


令和の指導はさらに難しい・・・


10年、20年前に比べて、暴力をふるうような子は激減しました。

その反面、


「正しいのは私で、あっちが間違っている!」

「悪いことをしたんだから責められて当然だ!」


といった形で、「正しさ」をたてに他者を容赦なく断罪する風潮が、

中学校でも増えているように感じます。


そうした子たちへの指導は難しいです。


少しでも否定すると、

「先生に私のよりどころとしている価値観を否定された!」

と受け取って、一切拒絶されてしまうからです。



自分とは異なる価値観も受け入れられる「柔軟さ」



今の学校教育で最も教えるべきことかもしれません・・・

多様性も叫ばれていますしね。


多様性についても筆者は独自の考えがありますので、
また記事にしたいと思います。



最後は生徒に救われる


不正の事実を相談された筆者は、どうすべきか悩んでいました。

本当に困った・・・

どうしよう・・・


この窮地を救ってくれたのは、Aさんでした。



先生、私はこのことはみんなに知らせないほうがいいと思うの。

そりゃ、3年生のやったことはムカつくし、許されないと思うけど、

だからって「2年生と3年生が全面戦争!」なんてことになったら、

傷つく人がもっと増えちゃう・・・

クラスのみんなは、きっと今年以上にすごい新聞作って、

来年は必ず1位とってくれるよ!

話してくれた先輩や私は、黙っていられなくて先生に話しちゃったけど、

この話は先生のところで止めておいて欲しいな。

巻き込んじゃって悪いな~とは思うけど、

先生なら黙っててくれると思って。




まったく、どっちが先生かわかりゃしない・・・


立派に育った生徒に、いつも救われてきました。


翌年、筆者の生徒が3年生になった文化祭では、
綿を貼り付けて雲に見立てたり、
ラメのシールを貼って輝かせたり、
紙面の装飾まで工夫を凝らした学級新聞が壁を埋め尽くしました。

写真が残っていなくて残念です。


本当に優れた発想はきちんと支持され、
新しいスタンダードとして定着していくんですね。


それぞれ派手に装飾している中で筆者のクラスは、

英字新聞をちぎって貼り付けたシックなデザインで、

逆に目立って見事1位を勝ち取りました!


担任が何も手出ししなくても、自分たちで考えて達成できる。

本当に優秀な子どもたちでした。



・・・・・・あれ?・・・筆者の存在意義は?



このサイトでは、筆者が公立中学校の教師として25年勤務した経験から学んだり、気づいたりしてきた知見を基に、学校での指導方法や、子どもへの接し方、育て方などを、エッセイ形式で発信していきます。

筆者は学者や研究者ではないので、あくまで経験則から語りますので、
「それはどうなの?」と思われることもあるかと思います。

子どもをよりよく育てるための重要なポイントの一つに
「新しいものの見方、考え方を獲得する」
というのがあります。

自分が気づかなかった新たな視点を得ることで、
考えが広がり、理解が深まる。

子どもたちがよりよく成長できるように、
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