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かわいげのない幼児期②

5歳で引っ越しを機に幼稚園へ入園。
入園初日から例によってやらかす私。
自分を曲げない5歳児はすでに生きづらい・・・



初日から行方不明


5歳になるときに親が家を建て、母親の実家の近くに引っ越しました。
お昼寝が嫌で保育園を自主退園した私は、引っ越し先の保育園に入園することを拒否。
「お昼寝がない」+「早く帰れる」という話を聞き、少し離れた幼稚園に入ることにしました。

5歳で最年長のクラスに初登園した日、知らない子ばかりのなか、ぶなんに過ごした気がします。
幼稚園はお昼寝がなく、その分なのか、3時ちょっと過ぎには帰れたように思います。
保育園と比べて、その2点を高く評価していた気がします。

ところが、初日の退園時に問題が・・・

私の家は幼稚園から少し離れていたので、バスで送迎してもらうのですが、私の乗るバスは2便で、さよならした後に1便のバスが戻ってくるまで待っているように言われたのです。

いつ来るのかわからないバス。
さよならしたのにどうして帰ってはいけないのか。
知らない子ばかりで、一緒に遊んで待つ子もいない。

ひまだ・・・
帰りたい・・・
待つの嫌い・・・


歩いても帰れるんじゃね?


そう思い立った私は、バスを待たずに幼稚園を抜け出し、歩いて帰宅することにしました。

家までは直線距離では1.5kmほどでしたが、引っ越したばかりでまだ道をよく知らなかったので、大分遠回りでしたが大通りを歩いていきました。
三輪車の冒険をしたときのように、自分の意志で見慣れぬ景色を眺めながら進んでいくのは、気分が高揚しました。

結局2.5kmくらい歩いて、家に着くまでに1時間近くかかったように思います。
玄関を開けて、元気よく「ただいま!」と叫ぶと、電話している母親と目が合いました。

「あ、今帰ってきました」
どうやら母親は幼稚園の先生と電話していたようです。

バスを待っているはずの私がいつの間にかいなくなり、幼稚園では大騒ぎだったようです。


翌日登園するとすぐに担任の先生に呼ばれて、きつく注意されました。
ふてくされた態度で聞き流していた私ですが、両肩をつかまれて、「急にいなくなったらみんな心配するから、絶対にやめてね」と泣きそうな顔で言われ、さすがに反省してその日からはちゃんとバスを待って乗るようにしました。

我の強すぎる幼児も、先生の真剣な思いは感じて、折れることにしたのでした。


礼拝とか意味わからないんですけど


私が入った幼稚園は、キリスト教系の園で、土日が休みでした。
当時はまだまだ週休二日という概念はなく、学校や会社はもとより、保育園も土曜日は半日ですが、営業していました。
昭和の時代は、平日5日間はフルタイム。
土曜日は午前中半日登校・勤務。
日曜日は1日休み。
という生活サイクルでした。

でしたので、土曜日も1日休める幼稚園は、私の中で高評価でした。

でしたが、キリスト系の幼稚園には、日曜日のミサ(礼拝)というものがありました。
日曜日の9時から1時間程度ですが、幼稚園に併設されている教会に行き、牧師さんか先生かのお話を聞くことになっていました。

せっかくの休みなのに、なぜわざわざよくわからん話を聞きに出かけなければならないのか?

・・・納得がいかない!

さすがに最初の1回は参加しましたが、すっかり嫌になってしまった私は、2回目からは完全に拒否して、ミサには参加しませんでした。

幼稚園にはミサに出席するともらえるシールを貼る手帳のようなものがありました。
ミサに参加しなかった私は、月曜日先生に呼ばれました。
どうしてミサに来なかったのか聞かれたので、具合が悪かったとか適当なウソをついてごまかした気がします。
すると先生は、「ちゃんと来てね」と言って休んだ日の分のシールを手帳に貼ってくれました。

私は学習しました。

・・・ミサに行かなくてもシールはもらえるんだ。

ずるがしこい子は、こうやってサボり方やごまかし方を学習していくんですね。

それ以来、味をしめた私は毎週ミサを欠席しては、「家の手伝いをしてた」とか、「親と出かけていた」とかウソの言い訳を繰り返し、シールをもらい続けました。

悪いことをしているという意識はなく、ミサという無駄な時間を賢く回避し、日曜日1日丸々休めてラッキー!くらいに思っていました。
思えば、このころからすでにサイコパス気質をもっていたように感じます。

善悪や良心よりも、合理的な損得を優先する5歳児でした。



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