なりたいと書いたもの。
小学生のときから文章を書くのは好きだったし、低学年の頃は担任の先生が大好きで、将来は学校の先生になりたいと思っていた。
どうしたら先生が喜ぶかを理解して行動できる手のかからない子どもだったわたしは、作文でも感想文でも、そこで求められていることをうまくキャッチして書くことができて、よく賞をもらった。
自分がほんとうにどう思っているかよりも、よい作文らしきものを書いていたのだと、大人になったいまは思う。
だから、よく賞をとったことは覚えているけれど、何を書いたかはさっぱり覚えていない。
逆によく覚えているのは小学校卒業のとき、卒業生全員の「将来の夢」が掲載された学校便りに書いた作文だ。
それはそれまでとは正反対に、学校の先生への怒りともいえるメッセージだった。
5年生のとき、学級崩壊し担任の先生が学校に来れなくなった。
そこから卒業まで、クラスの中で、ほかの先生たちと、親たちも巻き込みいろんな出来事や話し合いがあった。
まぁいろいろあったけど、わたしがそこで学んだをあげるとしたら「大人って、先生って、ぜんぜんすごい人じゃないんだな」ということだった。
もうちょっとわかりやすくいえば、学校ってどうしようもないし、学校の先生もどうしようもない、自分にはどうにもできなかったという怒りと無力感。
だから、将来の夢として文部大臣になりたいと書いた。
まったくかわい気がない小学生である(笑)
だけど、クラスの中で一人の児童として、理不尽で納得のいかないことをたくさん感じて、先生や校長とも話してよけいに失望して。
学校をかえるには、学校を管轄してる文部省(当時)しかない、とそのときはたぶん本気で考えて書いた。
だから、今でも覚えている。書き出しの一文も、内容も。
それからもう20年。
進路選択でもキャリア選択でも、学校の先生を目指すこともなかったし、国家公務員を目指すこともしなかった。
子どもが生まれて、小学生になり、学校を休みがちになった。
そしてまた直面している、学校という壁に。
先生は一生懸命だし、親切だ。
だけど学校という大きなシステムの中で先生はいそがしくたいへんで、学校に行かない子も、自ら命をたつ子もふえている。
それはやっぱりなにかがおかしいんじゃないかなと思ってしまう。
先生も国家公務員も選ばなかった。
いまからそれを目指すこともないと思う。
だけど、いまの立場からできることはなんなんだろう。
そんなことを考えている。
今日は#週刊お題noteの「なりたいもの」というテーマで書きました。なりたいもの、なりたいもの、なにかなぁと考えていて思い出したのは小6のときに書いた作文でした。
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