隣に立って同じ風景を見ていても、見えている世界はちがう。
同じものを見ても、見えているものはちがう。
同じ世界を見ているつもりでも、見えている世界はちがう。
それをはじめて実感したのは数年前。
主催していたワークショップのストーリーテラーとしてゲストに来てもらうSさんと恵比寿で事前打ち合わせをした帰り道だった。
Sさんは車が大好きでデザイナーの道を選んだ人。
駅に向って歩きながら話をしていたらSさんは「こうやってさ、道を歩いてると通りすぎる車のあーるが気になっちゃうんだよねー。ついついあーるをチェックしちゃう」と言った。
あーる…??と、思っていたら「ほら、あの黒い車のあーる、かっこいいな」と続く。
あーる=角R。車の流線の角度のことだった。
人生で一度も、車のRを意識して見たことなんてなかった。(ゴールドペーパードライバーのわたしはなんなら車種すら見分けがつかない)
隣に立って、同じ街の風景を見ているのに、わたしとSさんに見えている世界はまったくちがう。
Sさんが見ているものがわたしにはまったく見えていない。
それはとても衝撃的な出来事だった。
そんなことを思い出したのは、最近逆に「よく見える」ようになった体験があったからだ。
毎日硬筆のなぞり書きをするようになって1ヶ月。
今までまったく見えてなかった人の書体の違いや、お手本の文字の微細な反りや曲がりが分かるようになってきた。
1ヶ月前も同じようにみていたはずのお手本の文字なのに、なんで気づかなかったんだろうと不思議になる。
ものの見え方、解像度というのは続けることで、見る回数が増えることであがっていくようだ。
見え方が変わると、見える世界が変わる。おもしろい。
わたしたちは自分の知っている範囲の中のものしか、見えない。見えていない。
なにか新しいことを知るのが楽しいのは、それによって世界の見え方がかわっていくからなのかもしれない。