いつか誰かに贈る言葉を。-変わる瞬間、気付く瞬間のきっかけ-
「勉強は人に教えることで自分の理解も深まるんだよ」
昔、先生にそんな風に言われたことがあるような気がします。
少し前に中学時代の恩師に会いに行き、
昔言われていた言葉を思い出したり、その言葉の奥にあった意図を理解できたり、
忘れていたいろんな感情に出会い直せたような気がしました。
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最近の僕は4月に入社する会社でインターンをしています。
少しずつ出来ることが増えていく楽しさを感じながら、今は心穏やかに働けています。
そんな中、人事のお手伝いの一環で就活中の大学3年生と会うことがあります。
僕だって数ヶ月前は学生側にいたのに、となんとも不思議な感覚を味わっています。
そんな場面で僕が感じるのは”僕が出来ることはなんだろう?”という感情です。
今の僕は、働き出して1,2ヶ月のド新人。もっというと入社もまだの存在。
会社のことは社員さんに説明してもらった方が正確で、語れるのは自分の就活記録くらい。
戸惑う僕を見かねて、それを伝えてくれれば良いよと周りの方は言ってくれます。
でも僕は思うのです。
今目の前にいるこの人に、僕の経験がどこまで生きるのだろうか?
”闇雲に情報だけ増やしても結局自分で取捨選択できないと苦しむのは自分である”という事に気付いたのは僕自身でした。
そんな僕の苦い学びが目の前の人に伝えるべき言葉を鈍らせます。
人にアドバイスすること、何をどのように伝えるべきか。
僕はこれらに苦手意識を持っていることにようやく気付けました。
そんなある日、ふと思い出した言葉がありました。
「勉強は人に教えることで自分の理解も深まるんだよ」
"人にもっと教えてあげれば良いんだよ。
どうやったら伝わるのか考えながらその問題に向き合う事で自分なりの取り組み方の工夫を見つける事ができるから。"
自分なりの工夫。
勉強の答えはひとつかもしれないけど、人生の答えは無数にあると思っている。
そう思う気持ちをもっと自分らしく表現できればそれで良いのではないか。
"必ずこれをしなさい"
そんな表現が苦手な僕だからこそ、
"これがあったら素敵だよね"
を伝えられるかもしれない。
かつて僕に贈られた言葉が時間を経て新しい気付きに変わった瞬間でした。
言葉を贈るということ。
それは押し付けでも強制でもなく他者への応援や優しさの気持ち。
言葉はモノではない、だから意識していないとすぐに消えてしまう。
でも、強く励まされた言葉、心の底から納得した言葉はいつまでも消えずに残る。
ふとした時にあの納得した言葉が蘇る。
そんな言葉を出会う誰かに伝えられたら素敵だと思う。
誰かの人生の正解を引き出してあげることは今の僕にはできない。
一点の光を目指す、長くて真っ直ぐな道を示してあげることはできない。
でも、その道の脇に咲く小さな花の存在に気付かせることはできるかもしれない。
全てを導く責任に怯えて何もできないくらいなら、
ほんの小さな広がりを与えることを目指そう。
線を引いていた世界へ自分から近づいていく。
それが今目指すべき社会人像なんじゃないだろか。
できることを自分なりに見つけて。
学生の自分、教わる自分、消費者としての自分から、
与え、教え、1人の大人として責任を果たせる存在に変わらなくちゃ、変わりたいな。
そんなことを思います。
ライ