男性信仰
「夢の中へ」より抜粋
私にとって、人生を通して、男というものは、悪魔でした。私を堕落させ、快楽を求めさせ、自分のことしか考えられなくさせました。悪魔に魂を捧げたくて、たまらなくさせました。そして私はその、男が、好きなのでした。
男というものは、高潔で、汚らわしくて、欲があり、欲がなく、まっすぐで、曲がっていて、美しく、不細工で、女に敵わず、女の支配者で、これが私にとっての神でないのなら、私は生きている意味がない。男というものは、女となど交わってはならない。男というものは、女を消費しながら、男というポリスの中で、美しく在る。そしてその心はいつでも男に向いているのです。そうでなければならない。
女と男の恋というのは、どこか、本能によるものでないことが否定できないという点で、私にとって汚らわしいものでありました。恋愛小説を読むときは、同性愛を描いた物以外は読みませんでした。
特に男同士の恋愛を描いたお話に、私は、汚らわしい私という女が立ち入ることのできない楽園を見ました。美しい天使である人間が、生殖という汚れに触れないまま、一つのものとして愛し合っている。そこはどうしようもなく楽園でありました。
私は同性愛者になりたいと願うようになりました。私は汚らわしくも女でありましたが、それは月経があることで毎月自分は孕むのだと意識させられること、男性器がなくセックスができないこと(私の中で男性器とは男性同士がアナルセックスをするためについているものであり、男が女に挿入することは許されませんでした)に起因するものでした。ですから、もしも私の体から子宮を排し、女同士でセックスをすることができれば、それは、愛の在るべき形である、と考えました。汚らわしさから逃れ、美しき楽園に入るためには、外科手術と、性的指向の変換が求められたのです。
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