てんぐの天龍八部再読日記①天龍八部ロスには天龍八部を
前説
BS11で放送していたドラマ版天龍八部が最終回を迎え、先週後半はちょっと気が抜けた感じがしました。
その天龍八部ロスを埋める、という意味もありまして、最近は本棚に置いてあった原作を再読しはじめました。
監修:岡崎由美、翻訳:土屋文子というコンビは、ゼロ年代の本邦武侠小説における最強コンビでした。このどちらかの名前があれば、安心して読めるってくらいの信頼がありました。
そんな天龍八部原作版について、これから折に触れて印象に残った部分を紹介していきたいと思います。
原作版の段誉と雲南大理国
ドラマでは1話から喬峯や慕容復、そして虚竹が登場し、それぞれを主人公としたストーリーが並列して展開していました。
これに対して原作は、最初は段誉ルート一本でストーリーが展開していました。1巻冒頭の解題から考えると、金庸先生の初期構想では、雲南大理国をメインステージにするつもりだった節も感じます。
その大理国ですが、金庸バースでの「大理段氏は中原武林の出」という設定は、原作ではより強く活かされていました。例えば、段正明が武林の者として名乗るときは「大理国皇帝」ではなく「天南段氏掌門」という名乗りを上げるくらいでした。
そういう背景と気風があってか、大理国の朝廷や段誉の実家の鎮南王府にも、元墓泥棒の穴掘り名人とか中原で派手な仇討ちをやって凶状持ちになった侠客とか、そんな背景を持った者たちも、正体を隠して潜んでいました。
以前にもこんな記事を書きましたが、遊侠や侠客を「中華世界の冒険者」と見立てるならば、雲南大理国は「冒険者が建てた国」のモデルケースとも言えそうです。
さて、そんな大理国のプリンスである段誉くんについて。
まったく武芸のできない頭でっかちの理屈屋がひょんなことから武功を授かるというかミュータントパワーを獲得するというかしちゃうわけですが、実はもともと天賦としか言いようがない才能を眠らせていた、そういうキャラ設定だったようにも思えます。
というのも、人物紹介で「凶暴だが頭が弱い」とわざわざ記載される岳老三が、段誉と出会ったときに、その外見から「お前には武芸の才能がある!」と騒いでいました。
実は岳老三は南海派という一子相伝の邪派門派の掌門でもあり、それもあって出来の良い弟子の存在は必要不可欠。これが岳老三が段誉に執着していた理由だったわけです。まあ、実際には弟子にするんでなく弟子になってしまうわけですが。
一陽指と六脈神剣
雲南段氏の御家芸たる一陽指と、天龍寺秘伝の神功たる六脈神剣。
ドラマだとどちらも指先から内功ビームを放つ技なので、どう違いがあるのかちょっと迷いました。
てんぐとしては、「もともとは六脈神剣がオリジナルの武功だったけど、世俗の在家に使わせるにはあまりにも無慈悲で危険なので、威力を落としつつ医療にも転用可能にして段氏始祖に伝授したのが一陽指」と解釈していました。
でも原作を読むと、「オリジナルは一陽指で、それの習得で磨いた内功を指先から放って無形の剣に変えたのが六脈神剣」ということのようです。
もっと言うと、原作版の一陽指は射出技ではなく、指先が相手に直に接して初めて内力を注いでダメージを与えられる完全接触型の武功でした。
日本のバトル漫画で例示すると、ジョジョ2部でジョセフがシーザーから教えられた「指先からの一点集中波紋」をあげれば、イメージしやすいでしょうか。
なので、正明陛下たち段氏も、敵と戦う時は一陽指と併用して鋼の剣などの武器を用いる必要があるわけです。
これに対して六脈神剣は、その指先から内力が射出され、遠距離の標的にダメージを与えられる武功でした。
内功ビームの演出は、むしろ六脈神剣の方が正しいわけですね。
もし今後天龍八部を映像化するときに六脈神剣を出すなら、魔術士オーフェンの「我掲げるは降魔の剣」みたいに、指先から内功ライトセーバーが出てチャンバラする、という演出案も浮かびます。
なお、出会うヒロイン候補すべてが腹違いの妹でした展開も、四大悪人の首領に媚薬盛られた挙句にその腹違いの妹と密室に閉じ込められる展開は、完全に原作準拠です。
段誉はグレても良かったんじゃないか?
まあ、一国の王子が往来で中指立てるのはどうかと思うけど。
慕容復という男:原作版
ドラマ版では「燕国復興」という700年越しの妄執の悲しく哀れな傀儡だった慕容復という男ですが、原作だとまだまだ登場していません。
ただ、彼についての証言は従妹にして段誉ルートのヒロイン候補(なおこの時点では推定他人――物証なき間は対象は血縁のないものと見なす司法上の原則――が働いております)の王語嫣から語られています。
ここで、ドラマでは描かれなかった彼のとんでもない一面が紹介されてます。
なんと慕容復、文字が一切読めないんです。
というのも、彼は自らの祖先である鮮卑慕容部を尊崇するあまり、自らも漢人ではなく胡人になりたい、したがって中原の文字である漢字を読むことも拒否する、という変なこだわりを抱いてしまってるわけです。
実際に華北を征服した胡人たちって、むしろ漢字に代表される漢文化を積極的に読んで学んで習得してみせてたと思うんですがねえ……。
そんな慕容復がどうして中原武林の秘技や秘伝書に通じていたかというと、王語嫣が代わりに代読してあげていたんですね。
これが語嫣が好きでもない、自分で実践できるわけでもない武芸の知識に精通していた理由なんです。
語嫣と慕容復の関係性は、共依存という言葉がチラつくというか、少なくとも健全なものとは思えないです。
段誉の恋のライバル、初めて登場した乗り越えるべき壁として登場しつつ、「実は自分一人では生きていけない弱い男だった」という慕容復の悲しい正体は、この頃から実は描写されていたのがわかります。
ちなみに、語嫣のお母さんが大理国と判明した男を殺害して自邸の、大理原産の椿の肥やしにしていたのは、完全に原作準拠でした。
というか、哲宗政権というか宣仁太后も友好国の国民相手への所業をなんで放置してるんだよ、さっさと対処しなさいよ。
というか大理国の方でも流石に抗議くらいしようよ、のんびり気風も良いけどさ。
総括
この2巻くらいまでが、段誉ルートのオープニングイベントというところでした。
ロマサガでいったら、アルベルトがイスマス城から脱出して、有為転変の末にようやく王都でナイトハルト殿下の御前に到着したところまで、というところですね。
ドラマ見てても思ったけど、段誉ってロマサガ主人公8人衆の中ではアルベルトに近い雰囲気はあるんだよね。要はお坊ちゃんってことだけど。
また、原作を読み返して、今回のドラマ版は同時間軸の喬峯や慕容復や虚竹の動向の挿入以外は、概ね原作通りだったのがわかりました。
原作の骨子は手を付けず、後の展開を知っている後発のアドバンテージを活かして補完や補強する方向で改変する。
これが金庸作品の映像化の成功パターンでしょうねえ。
逆に笑傲江湖なんかは、「どう改変していくかが腕とセンスの見せ所」って面もあるんですが。