読書感想:東離劍遊紀上下巻~2024年最後の大当たり武侠作品!
武侠小説「東離劍遊紀」見参!
先日第四期が終了し、そして来年劇場公開の最終章を待つサンダーボルトファンタジーこと東離劍遊紀ですが、それに先立ち発売されていた小説版上下巻を読了いたしました。
実のところ、これを買うか買うまいか、てんぐはかなり迷ってました。
一期の頃にでてたマンガ版の出来は、お世辞にも良いとは言えませんでした。そもそもサンファンという作品の魅力を把握できていたのかも疑わしいですし、ましてやアジアンファンタジーや武侠作品の世界観を把握できていたとは思えません。
小説版の生死一劍も、サンファンのスピンオフとしては90点としても武侠小説としては基本的な用語用法を認識できてないし、甘めに採点して75点程度でした。それらの記憶があると、流石に躊躇してしまいました。
そんな折に、てんぐが信頼する書評家の三田主水さんの熱い評価を拝見しました。
「三田さんがそこまで言われるんだったら買ってみるか」と思い、買ってみたところ、これがまさに大当たり。
単に面白いってレベルじゃない、今年読んだ本で言えば、両京十五日と双璧ってくらいの大傑作でした。
※ちなみに両京十五日はこちらでお試し版が読めます。サンファン勢にも強くオススメいたします。
てんぐがなぜここまで「武侠小説・東離劍遊紀」にテンションが上がったか。その理由のひとつに、あの講談調とハードボイルド文学がハイブリッドしたような地の文が挙げられます。これ、台湾武侠小説の巨匠、古龍先生の作風でもあるんですよ。
もともと、てんぐも古龍作品の「多情剣客無情剣」や「辺城浪子」や「陸小鳳伝奇」といった作品を図書館で読んだのが武侠クラスタとしての第一歩でした。一期の頃から、殤不患の拙劍には辺城浪子時代の阿飛の「天下で一番おっかない剣」を、殺無生には陸小鳳伝奇の西門吹雪や葉孤城のような偏屈剣豪を連想してました。
そんなてんぐだけに、この文体は「これよ、これ!」と喝采を挙げてました。そして同時に、この名調子を脳裏で読み上げていくと、もうひとつの声も思い出しました。
田中敦子さんによる、サンファンの次回予告がそれです。
田中敦子さんといえば、四期の次回予告のナレーションも吹き込んでもらえてました。
この武侠小説版の文章、田中敦子さんの声で朗読してもらえたらなあ。
もちろん、この武侠小説の魅力は地の文だけではありません。
「武侠とは何か」を真摯に問い、それを正面からであったり搦め手であったり、様々な流儀で実践しているところもそうです。
武侠作品という、なかなか日本では馴染みの薄いジャンルの世界観を、全力を尽くして理解しようとし、そして読者に理解させようと努力する作家としての姿勢、野心と誠実さの両立が素晴らしいんです。
思えば、虚淵玄の鬼哭街もそうでした。
本場の武侠作品と比較すると、確かに微妙な齟齬もあれば、「この文だけは現代日本人の感覚になっちゃってるなあ」というところもありました。
でも、それらが作品の瑕瑾になってるかといえば、全くと言って良いほどなっていません。
かつてのマンガ版などのメディアミックス作品では味わえなかった喜びを、ページを開くたびに味わえていました。
サンファン主人公たる殤不患の“属性”
ヴィランたる刑亥が魔族ナショナリズムに基づく“忠”の実践者として散ったのに対し、それと対峙していた主人公たる凜雪鴉は他者の宝を盗み悲哀や絶望を愉悦とする「不仁」であり、浪巫謠も父殺しを望んで魔界にまで訪れる「不孝」でした。(浪巫謠の行動が、結局は父アジベルファ伯爵の策略を実現させることに繋がったと考えると、この親子関係は異形の「孝」であったとも言えるのですが……)
どうもサンファンの主人公衆というのは、儒学が伝える「三綱五常」、中でも仁・義・礼・知・信の五文字の徳目の“不”を属性とする傾向があるようです。
では、視聴者の誰もが認める快男児、殤不患はいかなる徳目の“不”であるのか。
結論から言うと、それは“信”ではないでしょうか。
あの気風を見てなぜ「不信」なのかと思われるかもしれません。
そこで思い出していただきたいのが、「信なくば立たず」という諺です。
相手から信じてもらうには、主観的に正直に話すというだけではなく、一度請け負ったことは釘で打ち付けたように揺るがないって信頼を得ることも必要です。
でもこの人、言ったことが結構アテにならないんだよなあ。
特に、“義士”の軍師だった鬼鳥の正体と、自分たちが欺かれていたと知って傷心の丹翡に対して「借りを返す!」と息巻いて、ちょっと経ったら「いや、天刑剣の鍔と柄を取り戻す算段が付いたって、あの野郎が言い出してさ」とか秒で丸め込まれたと申告してるんですよね。
しかも、仲間であった睦天命の失明の責任を勝手に背負い込んで、本来なら彼女の使命だったっぽい魔剣集めの要であった魔剣目録を勝手に持ち出して鬼歿之地の更に先にまで到達しちゃう。
もうね、意図的に騙すとか欺く以前に、根本的にコミュニケーションが破綻してるんですよね、帝国軍のこの旦那と同レベルで。
そういやオーベルシュタインも、殤不患と同じく刃物に由来する異名があったなあ。「ドライアイスの剣」とか「帝国印・絶対零度のカミソリ」ってんですが。
ともあれ、客観的に見て、特に人となりをよく知らない段階ではとても信じられないし、知ったら知ったで結構な確率で相手を怒らせてるってことも多そうなんですよね。
マジでその性格は直しなさいよ、任少游くん(本名)。
というか、任少游に剣と心の道を示し、一期時代に“刃無鋒”の名前を与え、捲殘雲と殤不患の縁って、とんでもなく深かったんですなあ。
護印師・丹衡は死せず
この武侠小説版で最初に驚いたのが、丹衡兄さんの強さ。というか、あの人って江湖渡世も経験してたんですなあ。
そして、江湖渡世の武侠としての武功と破邪顕正の護印師としての丹輝劍訣の双方を用いる、宝剣穆輝劍の主というと、これは鍛劍祠の入り婿になって以後の捲殘雲とも重なります。
丹衡の身体は確かに斃れましたが、その志は義弟の中に生きている。
そう考えるのは、ロマンティシズムにすぎるでしょうか。
年末年始のお供に武侠小説・東離劍遊紀を!
この武侠小説の良さ、面白さ、興奮を伝えようとすると、本気で行数がいくらあっても足りません。
この年末年始、是非とも東離劍遊紀上下巻をお読みください!
このてんぐが太鼓判を捺します!