読書感想文:ダークエルフ物語〜話せばわかる、だから話そう、何度ぶつかってもしくじっても
本日からnoteで秋の連続投稿チャレンジが始まりました。
せっかくなのでやってみるかなとお題を眺めていたら、 #読書感想文 というタグを発見しました。
読んだ本については概ねタグつけて書いてるからなあと思ったんですが、そういえばD&D小説の傑作、ダークエルフ物語の感想記事というのはまだ書いてませんでした。
ドリッズト大百科が届く前にと最近は本編も再読していましたので、連続投稿一本目はこちらにします。
ちなみにこちらがドリッズト大百科の感想記事です。
さて、そのダークエルフ物語。
「種族や出自に由来するステレオタイプの打破」という当時のファンタジー作品に対する鮮烈なアンチテーゼは、初めて読んだ時から感じていました。そしてその世界観は、いまは新たな、そして正しきスタンダードとなっています。
それと同時に、「自分ひとりが世界の中で特別だなんて思い込むな」という、周囲に馴染めないでいる多感な人々へのメッセージを、ドリッズトというドロウエルフの青年とその冒険と出会いと別れという形で描かれていたことに、この再読期間で感じました。
師父にして実父のザクネイフィンや敵なんだか味方なんだかハッキリさせない日和見主義のヤーラクスル、ドリッズトの戦友たる蛮族戦士ウルフガー、他にも大勢のキャラクターが、それぞれの流儀で自分たちのステレオタイプを打破する生き方を見せてくれました。
そしてアイスウィンドデイルのカシアス代議員。確かに城門を開かせ暖かく迎え入れたとは言えない彼ですが、それでも種族を理由に兵士に攻撃を命じるような真似はしませんでしたし、体よく荒野の番人に仕立て上げたとも言えますが、アイスウィンドデイルの住人として最初にドリッズトを迎え入れたのは紛れもなく彼でした。そして、魔水晶に魅入られた魔術師アカル・ケッセルの軍団と徹底抗戦するべく住民たちの指揮を執る姿は、後にミスリル・ホールで大メンゾベランザン帝国建設の野望に燃えるベンレ家と対決する連合軍の一翼となるドリッズトの姿を先取りしたものでもあります。
ドリッズト・ドゥアーデンの鏡像としては、刺客アルテミス・エントレリが挙げられますが、実際にはドリッズトの鏡像と呼べる人々は大勢いました。
であれば、ドリッズトの苦悩はどれほど大きかったとしても、それでも孤独でもなければ特別でもない。
だから、「人と人は違うようでそんなには変わらない、だから話せばわかる、まずは話そう、しくじっても、ぶつかっても、何度でも」という、サルバトーレの価値観なのかなと思われるメッセージや展開とも繋がってくる。
ダークエルフ物語という作品の魅力って、こういう価値観こそが土台となってるんじゃないでしょうか。
それやこれやを考えると、やはり未訳のダークエルフ物語シリーズも読みたくなってきます。
こちらの翻訳もされないものかなあ。