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てんぐの2024年振り返り:ノイエ銀英伝編

 今日は年の瀬の振り返り記事シリーズ第二弾です。
 昨日の日常生活編に引き続き、今日のお題はノイエ銀英伝
 本来なら映像作品編のひとつに組み込むのが筋なんでしょうが、どうせ話が長くなるのが目に見えてるので、思い切って別項にしちゃいました。

夫婦の会話:ノイエ銀英伝編

 以前にeテレで放送された第1、第2シーズンに引き続き、テレビ初放送の第3シーズン「激突」編、第4シーズン「策謀」編、毎週録画視聴してましたが、楽しかったなあ。まあ、放送時間が予告なく変更されたりオリンピックで一ヶ月中断期間が生じたり、放送してるのが日テレだからシーズンが切り替わるタイミングで地上波バラエティ丸出しのテロップ付き粗筋が挿入されたりもしましたが。
 というわけで、第3シーズン以降は毎週感想記事を書いてました。

 拙宅では、その録画視聴を奥さんと一緒にしてまして、その奥さんも何のかんの言いつつ付き合って、楽しんでくれてるようでした。
 今日も年末の買い出しに行ってるときも、「見やすかった」「いま銀英伝をやるんだったら、こうなんだろうな」って言ってました。
 てんぐもまさに同感で、具体的にはどういうところが「見やすい」と思ったかと言えば、「主人公=英雄たち」に都合の良い解釈や意見ばかりを示さないというところでしょうか。
 具体的な例を挙げると、第3シーズン最初のエピソードだった第25話「初陣」での一幕、暴力教官の本国送還です。

 抵抗できない相手に暴力を振るう訓練教官に対する嫌悪感はもっともなんですが、その人物に対しても「アイツは俺の戦友だった」と静かな憤りを込めて語るベイトマン教官のような存在も同時に描き出すノイエの作風は、「作品世界における公平さ」を維持しようという誠実さを感じました。
 査問会の後での会食シーンでヤン本人に対してレベロ議員が「君が独裁者に祭り上げられる可能性だってあるんだよ?」と苦言を呈し、それに対して逃げ腰になるヤンに対して「大学生気分を抜け出せない頭でっかち」さを印象付けた第33話「武器なき戦い」も同様でした。

 その他にも、ユリアンの将来を本気で案じたり、星間文明に相応しいテクノロジーに囲まれた軍隊や官僚たちとは裏腹に「公共交通機関は荷馬車で、最新のメディアは紙の新聞」という帝国社会の歪さに違和感を表明し、今どきのいけ好かないヤンエグ丸出しぶりのルパートを冷やかしたり、てんぐとは少し違った視点を奥さんは示してくれてました。
 おかげでてんぐも、銀英伝について考えるエンジンが大変掛かりやすくなりました。そういう意味でも、楽しかったなあ。

てんぐの選ぶベストエピソード集(第3、第4シーズン編)

 ノイエのエピソードってどれも面白いです。強いて「この時間は退屈だな」って思ったシーンと言えば、要塞戦に先立ってガイエスブルグ移動要塞計画をケンプやミュラーにプレゼンしてるときのシャフト技術総監による、薬屋のひとりごとならぬ技術屋の大演説くらいかな。

 あの時も言いましたが、話が無駄に長いんだよ、あのおっさん

 さて、そんなてんぐが選んだ第3、第4シーズンのベストエピソードは、この3つです。

 いや、奇をてらって選んだわけでないですよ?
 もちろん、ノイエ版の要塞戦(特に「本当にイゼルローン要塞陥落するんじゃないか?」ってくらいのスリルを味合わせた装甲擲弾兵突入のくだりなど)も良かったですし、その後のロイエンタールvsシェーンコップの決闘もケレン味があって楽しめました。
 それでも、帝国とフェザーンと同盟の三つの社会を描いたこのエピソードは、群を抜いて見応えありました。特に、第28話のオーディンのママさん作家や第43話の「罠っぽくね?」という田中芳樹作品にあるまじき口調で英雄の策謀を端的に看破していた同盟ギャルは、どちらも物凄い衝撃を与えるワンポイントリリーフでした。
 また、フェザーン社会の闇を描いた第30話は、かねがね想像はしていた「銀英伝TRPG」のイメージを固めるよいイメージソースになりました。
 というか、この闇を見ていた視聴者としては、駐在武官としてフェザーンに赴任したユリアンの歓迎パーティでの「フェザーンは裏路地が綺麗ですねー」って笑顔のセリフがとんでもなく恐ろしく聞こえます。それって、「汚れ仕事に首突っ込んだ死人が出ても闇から闇に葬られていくから、このフェザーンの路地って汚れないんですよね?」って言われたって解釈した人もいるんじゃないかなあ。
 あの記事でも書きましたが、トーキョーN◎VAが好きだった身としては、宇宙艦隊の大規模会戦よりピンときやすい世界観です。今ならサイバーパンクREDとかエッジランナーズの世界観って言った方が伝わるかな。

 いずれにせよ、このエピソードと、そこでスポットを浴びた人々は、いずれも銀英伝の従来の世界観に対する“新な別個の観念DIE NEUE THESE”の象徴であると申し上げます。

ゴールデンバウム王朝銀河帝国という国家を考える

 さて、これまでの記事で書き損ねていた話題もいくつかありまして、そのうちのひとつが「ゴールデンバウム王朝銀河帝国」そのものへの考察でした。
 ゴールデンバウム王朝については、これは「領地」という単語や、石黒版のファンタジー的な世界観の衣装の印象があるせいか、神聖ローマ帝国でなければ百年戦争期くらいのフランスのような封建社会として語る人が多く見受けられます。
 確かにゴールデンバウム王朝の前身は銀河連邦ですから、各星系または行政区ごとに独立国に準じるだけの自治権が帝政開始以後も封建社会として継続した、と考えたくもなります。
 しかし、実際には帝国については「封建社会」という表現は使われず、「専制主義」とのみ語られています。そして、歴史学上では、封建社会と専制主義、特にゴールデンバウム王朝のモデルとされた帝政ロシアのツァーリズムは、まったく別のものとして認識されています。

 では、銀河ツァーリズム国家であるゴールデンバウム王朝における貴族階級はどのような存在であったのか。
 それを探る良い事例が、カストロプ動乱です。

 キルヒアイスの艦隊司令デビュー戦という印象が強いこの事件ですが、原作における事の発端はというと、「私領からの貢納をチョロまかして資産を増殖させていた親父が死んだ途端に追徴課税を取り立てに来た財務省の職員をバカ息子が叩き出した」というしょうもないものだったりします。
 でも、ここで重要なポイントは公爵クラスの大貴族が、帝国政府に対して貢納する義務を負っていたこと、そして財務省職員を叩き出したバカ息子ことマクリミリアンの行為は暴挙であると帝国社会から認識されていたこと、この二点です。
 というのも、封建社会における貴族には「不輸不入権」が存在していました。

 もし帝国が貴族の不輸不入権を前提とする封建社会であれば、マクシミリアンの行動はむしろ貴族としての正当な権利の行使であると認識されたはずです。少なくとも、マクシミリアンも被害妄想に陥り武装蜂起を始めたり、親族のマリーンドルフ伯まで人質に取る騒ぎまでは起こさなかったでしょう。まあ、バカはどんなバカをやるかわからないからバカってんですが
 また、封建社会であるなら、帝国政府が人民を直接掌握することを前提とする徴兵制を全土に敷き、官僚機構を整備することもまたできないでしょう。

 そういったことを重ねていくと、帝国貴族の権勢とは、封建的な不輸不入権に基づく権益の自立ではなく、帝国政府または皇帝権力へ接近し軍や官僚機構の上層部や政府閣僚といったポスト獲得による維持強化を希求すると考えられます。
 このような「貴族」の有りようとしては、むしろ中世中国、それも江南王朝の権門貴顕に近いでしょうか。
 また、門閥貴族たちも、当主たちは本領より帝都オーディンの貴族社交の場に留まっていることを望む例が多いことが伺えます。劣悪遺伝子排除法施行時に、当時存在していた議会が議会内共和派による抵抗に激怒したルドルフ大帝によって解散させれてからは身分制議会すら設置されなくなった帝国においては、この社交の場での密談が国政レベルの政治を動かしていたというのですから、そりゃ社交界からうかうかと離れられません。
 となると、リップシュタット戦役は、リヒテンラーデ=ローエングラム枢軸による帝都オーディン制圧クーデターによる盟約参加貴族多数の拘束によって、半分くらいは勝敗は決していたと言えるのかな。

 さて、ゴールデンバウム王朝の打倒を目論むラインハルト、その簒奪を九分九厘確定させたのが、第48話での「ジーク・マインカイザー・ラインハルト!」の歓呼でした。

 で、この軍の将兵からの歓呼を受ける“皇帝”という構図は、ビザンツ帝国において軍や御雇い市民デモスたちによる歓呼を受けるという新帝即位の儀式を髣髴とさせます。
 そして、ツァーリズムを掲げた帝政ロシアのロマノフ王朝は、このビザンツ帝国の後継国家を自任していました。

 銀河ツァーリズム国家の後に訪れる時代の予兆が、ビザンツ帝国の如き“皇帝”歓呼となる。
 この逆転現象は、歴史を考えるとなかなかに趣きを感じます。

銀河の人々が等しく対峙するべき“敵”としての地球

 自宅でじっくり腰を据えてノイエを見てると、やはりこの世界観には、「特定の誰かの意図をもってデザインされた世界観」というべき歪なものを感じます。
 前述の「公共交通機関は荷馬車で、最新のメディアは紙の新聞」で、ついでに言えばヴィクトリア朝時代の服飾センスという復古主義に走ってる帝国もそうですが、同盟社会だって西暦に置き換えれば3600年代だと考えれば相当にクラシカルと言える水準でしょう。
 そもそも、その惑星や星系の名前の由来になっているのも、惑星ハイネセンを除けば、多くが地球時代の神話や歴史に由来するものばかりです。
 また、ブリュンヒルトにせよヒューベリオンやユリシーズといった両軍の艦艇名も同様です。
 さらに、生まれてこの方ずっと病床から離れられなかったキュンメル男爵ハインリッヒが自宅に訪問したメックリンガーの前で挙げた歴史上の英雄も、原作だと曹操などの古代地球時代の人物たちでした。

 こうした事例を見ていると、銀英世界は、銀河を股に掛ける星間文明時代でありながら、宇宙に飛び立って以後に積み重ねたはずのものより、地球時代の過去に生み出されたものを人々は選び続けているのがわかります。

 それがもし、歴史の過去に去ったはずの者たちによる復権を目論んだ呪詛と誘導だとしたら。

 これはノイエ版の設定資料集を読むとわかるんですが、旧銀河連邦の国章には、地球のマークがあるんですよ。それも、「帝国と同盟に分かれること」「地球教の存在の暗示」なんて不穏な文言と共に

 もしかすると、“地球”という存在は、銀河の人々との闘争に敗れたその日から、自らの復権と自分たちを貶めた者たちへの復讐をずっと巡らせていたのではないか
 フェザーン自治領も地球教団もそのための装置に過ぎず、それどころかルドルフによる銀河帝国勃興も長征一万光年による自由惑星同盟成立も、そしてその両者の抗争と停戦の歴史も、地球への回帰願望を銀河に浸透させるための呪詛なのではないか

 ノイエ銀英伝において、歴史に名を刻む英雄も、世に名も知られぬままの人々も、等しく「自らの意思」を強く示し「自らの人生」を生きています
 オーディンのママさん作家も同盟ギャルも、イゼルローン要塞で魔術師ヤンとシェーンコップ大佐をギリギリまで追いつめたレムラー少佐も、救国軍事会議の戒厳令に公然と抗ったジェシカ・エドワーズとその支持者もそうでした。ギリギリの労働環境でメカニックとしての誠実さを見せたヤン艦隊のトダ技術大尉やユリアンの友ピーター・リーマー、フェザーン占領計画を明かされた帝国軍の洗濯係、皆そうでした。
 おそらく、銀英世界の歴史と社会は、このような人々の人生によって構築されていたはずです。

 もしてんぐが想像していたことが事実だとしたら、“地球”とは、まさに全ての銀河の人々を800年に渡り侮辱し続けた共通の敵だと言えます。
 銀河の人々が、自らの尊厳を守るために等しく対峙すべき存在、それは“地球”であると気付いた者が現れたとき、この物語は大きな転換点を迎えることになるでしょう。

 2024年のノイエ銀英伝のてんぐの振り返りの締めくくりとしては、そう悪くないんじゃないかな。

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