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映画感想:トワイライト・ウォリアーズ〜九龍城寨に“最後の江湖”を見た
……やっぱり日本版よりロッテントマトのトレーラーの方がカッコ良いんだよなあ。
というわけで、2025年最初に劇場で見た映画は、トワイライト・ウォリアーズこと九龍城寨でした。ちなみに英題はTwilight of the Warriors。戦士たちの黄昏。微妙に邦題ズレてないか?
で、内容ですが、めっちゃ良かったです。
てんぐと奥さんが見に行ったのはシネマシティ立川なんですが、公開2日目にしてパンフレット売り切れてました。初日で飛ぶように売れちゃったんだろうなあ。
香港カンフーアクションと聞いて思い浮かべるものが全部濃縮されてました。
主演のルイス・クーも渋くて良かったですしヒーロー側やヴィラン側の若手たちも生き生きしてましたが、サモ・ハンも良い味出してました。
悪役のサモ・ハンと言いますと「SPL」の時のカンフー大魔王っぷりが頭に浮かびますが、今回のサモ・ハン演じる“大ボス”は横柄にふんぞり返ってる老害にすら見えるかつての英雄といった趣きでした。もちろんいったん動き出せば若手どもじゃ手がつけられないんですが、それよりも名前ではなく記号的な呼び方しかされなくなってる自分にも気付けない姿に対する憐れみも感じられます。
その一方で、香港劇画は大好きで、九龍城寨を乗っ取りにかかった折は、ルイス・クー演じる床屋の龍兄貴に「立ち退いても劇画雑誌は置いていけよ?」なんて言っちゃうのは、もちろん嘲弄でもあるんでしょうが、人は損得抜きで好きなものはあるという普遍的な人間味も感じます。
いまの俳優サモ・ハン、本当に良い味出ております。
世界観の話をしますと、「九龍城寨って“最後の江湖”だったんだな」と、見ているうちに感じました。
武侠ものの話をするときに、説明に困る単語や概念のひとつが「江湖」です。梁山泊のような特定の地名じゃないですし結社でもない。黒社会というのともちょっと違うし、天下や世間といった既存の単語の言い換えと言い切っても語弊がある。じゃあ何なのかというと、結局は「江湖とは江湖だよ」と言うしかなくなってしまうんですね。
強いて言えば、まっとうな人生から弾き出され、過去を忘れて羽根を休め助けを求め合う人々が集まり自然と形成される領域、それが江湖ということはできるでしょうか。
そして、近代化の中での必然として現代的な社会に解体されていった江湖の中身が一点に濃縮されたのが、あの九龍城寨だった。
だから人は、あのスラム街ビルに対して郷愁にも似たロマンを抱いてしまうのかもしれません。
そして、この映画で描かれたのは、その“最後の江湖”の黄昏時の姿なんですね。
ちなみにこの映画、原作小説や劇画があるという話です。
それについては、こちらの記事でも言及されています。
最近は色々な中華圏の小説が邦訳されるようになりましたし、この九龍城寨シリーズも邦訳されないかなあと祈念いたします。
この願いを現実にするためにも、是非ともトワイライトウォリアーズを見に行きましょう。