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質問が苦手
昔から質問という行為ができない。
今は苦手までにランクが下がったが、何か聞きたいことがあると相手の様子を伺いつつ、自分にグッと気合いを入れなきゃ質問ができない。
聞きたいことについて頭の中で台本を用意して、それを何度もシュミレーションしていても実際、口に出すとしどろもどろで、あうあうあー⊂ミ⊃;^ω^ )⊃してしまうので相手から「ん?」と聞き返されてしまうこともしばしばある。
学生時代よりはマシになったほうだけどな…何も聞けなくて、わからないとこがわからないまま高校生時代までを終えてしまった…………。
なんでこんなに質問ができないのか、疑問に思うこともなかったけど大学生、社会人になるとそうもいかない。
ある程度、決まっていることは入学後の全体説明で教えてくれるけど自分がそれに当てはまるかは、それぞれ事情が違うから「自分の場合はどうなんだろ?」って聞きに行かなきゃいけないし、
入社後、マニュアルで決まっていることは先にいろいろ教えてくれるけど、その先の細かいことやマニュアル通りにいかなかった時のことは自分から聞きに行かなきゃ大惨事に繋がる。
でも聞けなくて、自分が不利益を被ったり周りに迷惑をかけたりして「なんでもっと早く聞きに来なかったの?」と何度も言われた。
なんでもっと早く聞きに行けなかったんだろ……。
そもそもなんで、質問が苦手なんだろ……。
そんなこと未だに考え続けて、5月には26だよ。どうすんのマジで。アラサーやぞ。
1.いつかは1人になると言い聞かされた
何となく原因っぽいものの心当たりはある。
子供の時、それこそ小学校に入ったか入る前かくらいの時、私は本がめちゃくちゃ好きだった。いわゆる文学少女ってやつ。
家に置いてあった国語辞典や冠婚葬祭マナーブックにも目を通していたので、もしかしたら字を読みたいだけの活字中毒者だったのかもしれない。
そんなわけで、ある日祖母から国語辞典を譲り受けた。わーいっぱい字書いてあるー( 'ω')おもしろーい
後日
私「ねー○○って漢字でどう書くの」
祖母「国語辞典あげたでしょ。自分で調べて」
これ。たぶんここ。
記憶力がドブの私が未だに覚えてるってことはたぶんこれが始まりだったのかなって思う。
上記の会話の他にも、私が小学校入りたての頃から、
「いつかママもおばあちゃんも死んで1人になるんだから」
「昔の知識しかないから、今学校で習ってることについて何もわからないし、教えてあげられない」
「自分で勉強していかなきゃいけない」
みたいなことをよく言ってた。
そんな突き放すような言葉は、それまで一人っ子で甘々に育った子どもにとってだいぶ刺さった。衝撃的だったのかもしれない
こうして、「誰にも頼らず、1人で何とかして生きていかないといけないんだ」という思考の土台が完成したと思われる。
祖母はまぁ、今思えば子育てに不向きな人物だったんだろうな。ちなみにまだ生きてる。元気〜
それ以降もいろいろあったけど、発端はやっぱこれかな。
2.ひどく馬鹿にされた気がした。
次に、間違えることが極端に恥ずかしい。
これも未だにはっきり覚えてる。実家の周りは坂道が多い上に住宅街だったのでちょっと移動すると、山が綺麗に見える道があったんですね。それを車から見て、当時、保育園に通っていた私は「あれ富士山?」と口にした。すると車内は大爆笑で充満した。
車が揺れんばかりに母と祖母に笑われた。笑われながら正しい山の名前を教えてもらったが、その時から【間違えると笑われる】というのを学んでしまった。
間違えたら笑われる。それはとても恥ずかしい。
これは今でも自分の中でダントツに根強い思考。学生時代よりはだいぶマシになったけど、たぶん死ぬまで変わることないだろうなって思う。
以上を踏まえて、
■間違えると周りから笑われる
↓
■恥ずかしいから間違えたくない
↓
■でもわからないことがある
↓
■1人で生きていかなきゃダメなので人に頼れない(と思い込んでる)
↓
■誰にも何も聞けない
↓
■周囲の様子を見て何となく解決できる
■あるいは知ったかぶりしてどうにかなる
↓
■根本的にわからないことは、わからないまま
↓
■次第にわからない所がわからない状態になる
↓
■誰にも頼れない
という最悪のループが完成するわけだよ。めっちゃ最悪だなこれ……。
ここまで気づくのに20数年かかった。なので、私の学生時代の成績はクソそのものですね。赤点再テスト常連。本気で自分が不真面目でバカで人生手遅れだと思ってた。
3.ノリと勢いで聞いてみる
わからないことを聞けるようになったきっかけは高校3年の時。
理由は忘れちゃったんだけど、美術部の同学年だけで会議室占拠してお菓子食ったりゲームしたり、宿題広げてるだけだったり好き勝手やってた。
もしかしたら違うかもしれないけど、テストだるいね〜勉強ヤダね〜〜〜って共通認識持ってる仲間だと当時の私は思ってた。赤点仲間の部員もいたので私がバカだって知れ渡ってるし、さらけ出したところで共感や同意を得られるだろう、とちょっと期待していた所もありましたね。
目の前には数学のプリント。1問目から解き方がわからないそれを指さして、じゃがりこ片手にノリと勢いのままに、心の中で「セイッ」と気合いを入れた。
私「いや〜マジ1問目からわからんわ〜〜〜(´・ω・`)」
友人「あーこれ?あれ使うんじゃない?」
解けた。正解がどうかはさておき、公式を使って解が出た。
その時、私は1人密かに感動の荒波に揉まれていた。「解けたわ!ありがとー」って言いながらじゃがりこを食べつつ、数学の問題を自分で解けた!とめちゃくちゃ感動していたのでした。
解けたのはその1問目だけだったし、人に聞いて導き出された答えだったけど、友人は使うだろう公式を教えてくれただけで、答えそのものを言ったわけじゃないから。
これは、私が自分で導き出した答えだと言う事実が今もずっと覚えている。
そこからちょっとずつ人に質問できるようになっては、相手の状況を見てやっぱ聞けない…という1問目歩進んで3歩下がるみたいな日々が続きます。おそらく今もそういう状態なんじゃないかな。
社会人になったら「わからないことあるけど忙しそうだし、タイミング見て質問しに行……相手が帰ってしまったどうしよう」期に突入して、それはそれでベショベショになってます。今も進行形でベショベショに泣いてる。
いろいろとあり過ぎたし、未だに誰かを頼りにすることに苦手意識はありますが、
■「セイッ」って気合い入れる
■会話シュミレーションする
この辺りを心がけるようにしたら質問したり、お願いしたりできるようになりました。
てか、気合い入れたら人を頼れるようになるまで10年近くかかってません?道のりが長い。あと、脳内シュミレーションしすぎて質問しようって思ってから2〜3日経ってるし、「なんでもっと早く言わなかったの?」って言われること多いですね(´・ω・`)
よく質問の仕方ミスって相手から「ん?どゆこと??」って聞き返されてるのも直したいな…(´・ω・`)しどろもどろになっちゃう🥺
今はトライ&エラーって自分に言い聞かせては、なんて言えば良いのか、どのタイミングで言えばいいのかを探り探りしています。
そんで、聞けた!(’▽’)聞けなかった…(´;ω;`)って一喜一憂ベショベショしながら電車に揺られる日々を過ごしています。
平常心で通勤できるようになる日は来るのか。来なさそうだな…。