社会システム理論自主ゼミ⑤二重の偶発性とは何か。
1.初めに
こんにちは😃
先日開催した社会システム理論自主ゼミの開催報告です。今回は宮台真司先生のサイトの「二重の偶発性とは何か」を皆で読み、議論致しました。
話題提供部分とてもよく纏まっているのでYouTubeと資料を是非ご覧ください‼️
2.話したこと
まずは日本と西洋の社交の違いについて話しました。
・西洋における社交は、相手を受け入れる器量と実力を示すのではないか。
・相手になりきる必要があるのではないか。
・日本の社交はいわゆるお世辞なのではないか。
というような意見が出ました。
その後、二重の偶発性についても議論しました。
・構造と過程において二重とはどこを示すのか。
・前提条件なしで物事を貫徹する構えが必要なのではないか。
・企業の寄付は二重の偶発性ではないか。
などの議論をしました。
論点、疑問点を話しているうちにまた新たな論点や疑問が生まれ、とても盛り上がりました‼️
3.感想と次回
今回もじっくり話せました!ここで、参加者の一名の方から詳細な感想兼考えたことを共有してくださったのでそのまま紹介します‼️
感想というか気づいたことというか、更にわかんなくなったことなんですけど…
最初の予習段階では、西欧式の社交術「私が他者の期待に応えうる存在であること他者に示すことで、他者たちを受け入れる意思を持つと示す」ところに本質がある、というのがわかるようでイマイチわからなかった。
これが、ゼミを通して
「他者の期待や予期を踏まえたうえで(それに沿うかどうかはともかく)何かしらの行動をとることが出来る存在であり、他者の予期を踏まえて行動する準備は出来ている(=他者を受け入れる意思を持つ、他者の本当の姿を見ようと努力している)ことを他者に示す」ところに本質がある、と自分の中で解釈することが出来た。
予期、というのはやはり計算可能化である。これが人に向けられる場合は非常に注意せねばならない。というのも、人はもともと未規定なものであり計算することなど本来は到底不可能だからである。しかし、予期ができないと人は大きすぎる不安で動き出すことが出来ない。故に、人に向けた予期をするときには「人間はもともと未規定なものであるが、ある程度予期を行わないと何の行動も起こせないからとりあえず仕方なく予期をしている。違背可能性ももちろん踏まえている。」という姿勢が重要であると感じる。そうでないと、人を物格化することになり、自分の予期通りに振る舞わない人に怒りを示したり、自分の予期通りの行為を強要したりするようなクズになってしまう可能性があるからである。人は予期通りに振る舞わなくて当たり前なのだ。過剰な予期(期待)はコントロールに繋がる。
さて、ここでナンパと予期について思いついたこと(自分の頭の中で関連づいたこと)がいくつかある。
宮台先生が日本人のナンパ下手なところは「自分(の振る舞い)が相手の期待、予期に、合致できているか」のレベルで考える、というところに起因しているとおっしゃっている。日本人は相手を直接喜ばせようとする傾向にある、つまり相手の期待に直接沿おうとしてしまいがちである。(そして相手がなびくかどうかに一喜一憂してビビってしまいがちでもある。)しかし、これだと相手の予期範囲内でしか自分は行動することが出来ない。相手を知らない世界につれていくことができる(と思わせる)といったようなことが出来ないのだ。「絶望の時代の希望の恋愛学(愛のキャラバンの紙の書籍化バージョン)」でナンパや性愛の醍醐味は相手と変性意識状態に入ってダイブすること、とある。カリスマのナンパ師は相手の女の子を会話などで編成意識状態に導いていくそうだ。高石宏輔さん曰く、「相手の女の子を褒めたり突然けなしたりして、相手の感情の振れ幅を大きくしていくことで相手を変性意識状態に導き、自分もつられて入っていく。」とあった。
これは、相手の予期を踏まえたうえで、それに沿ったりあえて外した行動をとったりすることで変性意識状態に相手を導く、ということを言っているのはないだろうか。変性意識状態を持ち込むには西欧式社交術のスタンスが必要であると思われる。
さらにちょっとややこしいことを言う。
仮に日本式の社交術、「相手の期待、予期に直接合致出来ているか」のスタンスでナンパを行うとする。これでは相手の想像の範囲内を超えた行動をとることは出来ないため、相手の女の子は「この人は自分の予想の範囲内を出ない人だ(=コントロール可能な人間だ)」と予期(計算可能化)してしまう可能性がある。そうなると、女の子は自分をナンパしている人をなめる。これが物格化につながる。日本式の社交術では、こうしてナンパが上手くいかなくなるのではないか。知らんけども…。
又、人間は「ここではないどこか」を夢想することが出来る能力を他の生物と比べて特異的に持っており、ナンパを待っている女の子も(もしかしたらそうでない女の子も)「ここではないどこか」を求めている場合が多い、とあった。(自分もそう。)こういった女の子と日本式社交術がいかに相性が悪いのかは前述に示したようなことを考えればよくわかる。
最後に問題提起とそのヒントになりそうなことに言及して終わりたい。(書くことが無限にあって気が狂いそうだけど首が痛くなってきたので中断します。)
正直、私は無意識に「相手に嫌われたくない」と感じており、それゆえに日本式社交術の呼吸1の型「相手の期待(予期)に直接合致しようとする」を、気を抜いているとほぼ自動的にやってしまう。だから、いつも相手の反応を気にしてびくびくしているところがある。長いものに巻かれようとする傾向にある。しかし、ここから抜け出したいが本心である。日本式社交術のスタンスから、西欧式社交術のスタンスへとシフトするにはどうすればいいのであろうか。自意識過剰的な自分への注意をまず捨てることが大事であることもわかっている。しかし、無意識に、自動機械をやってしまうのだ。。。
これのヒントとなるような文章が実は今回のテキスト中にあった。
「器量があることを相手に示せれば、そのうえで相手が自分を受け入れるかどうかは相手の問題」
これを読んだときアドラー心理学を思い浮かべた。嫌われる勇気にも記述があると思うが、
「課題の分離」が今回のこの問題のヒントになっているかもしれない。自分の課題と他者の課題をわけて考え、他者の問題には足を突っ込まない、ということである。
いや~めっちゃ意識的に治そうとしているときには何とか出来ることもあるんだけどなーーー気を抜いたり、相手のオーラが凄いとき(自分が負けてしまうとき)はもうほんと自動機械になっちゃうんだよーーーーーー。お腹すいた。
意識し続けて努力するしかないのかな~。お腹すいた。
そうそう予期はコントロールに繋がりうるよねえ…、とか、他者がなんの予期もしていない可能性もあるんじゃないか?とか、だから当たり前かもしれないけど二重の偶発性って結局私たちの自分の頭の中だけで起きている世界ではないか?とか、他者の予期を予期してその人の予期を操縦する、まで行くとやっぱりコントロールだよねえ…とか、もお話してみたかったんですけどまじで肩がこってて痛いのとお腹すいたのでご飯食べてきます。ここまで読んでいただいてありがとうございます!!!愛。
こちらまでお腹が何だか空いてきますね笑
丁寧な感想を書いてくださってありがとうございます。大学の授業のような単に知識を得るだけではなく、自分ごととして考えていく仲間もかの自主ゼミで得ることができます〜‼️
次回はこれまでの振り返りの会を行います。それぞれがこれまでの自主ゼミで考えたことを持ち寄って話し合ったりします。
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