ルソーから見える『ノマドランド』
こんにちは!福山です。『ノマドランド』について最近ちょっと思ったことがあったので今日はそれについて書いちゃいます。
<開拓民としてのノマド>
この映画は、ノマドという社会問題を扱いつつも最終的にファーンという人物の個人的な話に収束させることで、社会に対する問題提起という要素をあまり押し出さないスタンスをとっていました。それ故今作では、ノマドとしての矜持や美しさが描かれており、劇中でファーンが「あなたはフロンティア・スピリッツを体現する存在」と言われるシーンもありました。
しかし、資本主義社会の不平等という観点からもう一度彼女らノマドを見つめ直してみると、決して「ノマド=開拓民」という一面的な捉え方は出来ないのです。寧ろ「ノマド=先住民」という捉え方が出来る。今作は資本主義社会での不平等がメインテーマというわけでは決してないため、この視点から書くことは本作の主旨とは外れたものになるかもしれないですが、温かい目で見守ってやってください。
<先住民としてのノマド>
ルソーの『人間不平等起源論』は、人類が平等であった自然状態(人間の最も原始的な状態)を設定し、そこから人為的不平等(社会的・政治的不平等)が生まれてしまったプロセスを描いています。さて、今作『ノマドランド』をこの自然状態を念頭にして見てみますと、ノマドが不平等が蔓延る文明社会の中再び平等な自然状態に近い生活を営んでいる存在に映るのです。
ルソーは自然人を、「自己愛」と「憐れみ」が備わっており所有権の概念を持たず、自分だけで満ち足りているので知能・虚栄心が発達せず誰にも隷属していない存在としています。しかし文明の発達によって「憐れみ」が弱まり、様々な事物を自らと比較するようになり、一人の人間が他人の援助を必要とするようにもなり、私有財産も生まれ、自然状態が崩れていったとしました。ここでファーン達と自然人を比べてみましょう。「自己愛」とは自己保存のための感情であり、自己保存が出来る自然人は他に対して「憐れみ」を発揮します。これはノマドの姿に重なります。彼らは自分の生活を営むために日々過ごしていますが、死んだスワンキーを弔うといった「憐れみ」も見せています。自分だけで満ち足りているということに関してはどうでしょうか。『ノマドランド』でのノマド達は大切な誰かを失っている人達ばかりでした。その意味では彼らは決して満ち足りてはいません。しかし、彼らは誰かと自分を比べたり他人よりも上位に立とうとしてはいませんでした。言い換えれば、彼らは他人からの評価に縛られることなしに自己完結していた。その意味では彼らは自分だけで満ち足りているとも言えます。現代の文明社会で育ってきた以上彼らに知能や虚栄心の発達していることは否めないものの、ノマドとして生活している彼らから虚栄心はあまり感じられませんでした。また、彼らは必要な時に互いに助け合ったり話し合ったりしていましたが、結局車上生活は一人で送るもの。社会的分業が発達している社会では一人の人間が生活するためには他人の援助が欠かせませんが、ノマドの世界では社会的分業が発達しておらず基本的には一人で生活しているため他人の援助を必要としていません。ノマドたちは互いに隷属したりされたりすることなく生活を送っているのです。さらに彼らは土地所有という概念にも囚われていなかった。そういう意味で彼らにとって所有権は我々現代人に比べて弱いものであることが分かります。さて、こうして見てみるとファーン達ノマドは我々文明人に比べて遥かに自然状態に近い状態で暮らしているとは言えないでしょうか。だから、ノマドは開拓民というよりは先住民だとも言えるのです。そういうわけで今作ではノマド同士での不平等は殆ど見られなかった。我々が暮らす格差社会の中、ノマド達は自然人に近い新たな生き方を選択していると捉えることができるのです。
<新たな自然状態~もしも『ノマドランド』を違った風に作り直したら>
ルソーは不平等の行きつく先としてこんなことも述べていました。君主政のもとでは、最終的には国王だけが自由であって他のすべての人々が奴隷となる。国王を除くすべての人は奴隷として皆平等であり、これは新たな自然状態であるのだと。これをノマドの場合に当てはめると、ノマド以外の人々は「国王」的立ち位置となり、一方ノマドは「国王を除くすべての人々」的立ち位置になるということです。そう考えると、この資本主義社会で搾取される側にあるノマドの間には格差がないという新たな自然状態が浮かび上がってきます。
とまあ、こんなにまで話を発展させてしまったわけですが、正直なところ、一番最後の「新たな自然状態」は今作の中には見られませんでしたね。言い過ぎましたすみません。『ノマドランド』でのノマドは、ホームレスではなくてハウスレス。例えファーンが金を持っていようとも、彼女は恐らくノマド生活を続けるでしょう。なぜなら彼女がノマド生活を送る本質的な理由は金銭的理由ではなく亡くした夫だから。そういうわけでクロエ・ジャオが今作の中に描きこんだノマドは資本主義社会で搾取される奴隷的存在では決してない。彼らは自由や意思を持っている。ただ、もしも今作『ノマドランド』を別の視点から作り直したとしたら、こういった捉え方のできる映画にもなったのではないかなあと思って最後にちょこっと書いてみたのでした。
ラジオ本編はこちらから!四人四色の意見が飛び交ってます!
<番組概要>
お久しぶりです!今回は少しびっくりなお便りをいただきました。お便りありがとうございます。
第93回アカデミー賞を受賞した『ノマドランド』!今回は四人の意見が分かりやすく割れてなかなか面白いものでした。しかし、皆口をそろえて言うことは、「この映画は誠実な映画である。。」「アカデミー賞受賞で騒がれているけれどそっとしておいてやってくれ。。」一体どういう事でしょうか。詳しくは本編を是非お聞き下さい~
<タイムテーブル>
0:00- オープニング(お便り紹介)
10:56- 本編(ネタバレなし)
16:32-本編(ネタバレあり)
1:19:40- エンディング
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