小さい頃は、そう言えばどんな子もすぐに一緒に遊べるものでした。 でも、私はそんな「いーれーてっ」をしている子たちを眺めては、今ひとつ言葉に出せませんでした。まず最初に浮かぶのが『何あいつ、変なやつ』と言われるのではと拒絶されるという恐怖とそれを確実にする体験があったからです。 だから、相手から声をかけられる方が楽なのだと思っていました。しかしまあ、それもそれでおかしなもので。後者は決まって後々に距離を取ってくるか、出る杭は打つ勢いで奴隷のような扱いをしてくる人、あるいは勝手
外は打ち付ける白い弾丸が止めどなく降り注ぎ、その光景を見てカノカは痛そうだな、と思っていた。 どこまでいっても真っ白な大地。 その奥は白色が多めの灰色を塗りたくったかのような色が窓いっぱいに広がり、まるで霧のように感じる。 時々生えている白樺の木は木肌の色も相まってか、雪を被った道路標識と見分けがつかない。 モスグリーンの座席に膝をついていたカノカは、隣に座り他の乗客たちと同じように下を向き、スーツケースの向こう側を見ているような表情をしている母の上着を少しだけひっぱった。
10年も昔に書いた演劇脚本だった「キオクノセンタク(記憶の選択)」は、当時、審査員から演劇ではなくこの作品は小説向けだと言われた。 審査員からすれば皮肉を込めていたのかもしれない。でも、私にとってはすごくしっくりとくる答えだった。 あれから何度も構成を練り直したりラストを練り続けていた。 そうして漸く、自分の中でちゃんとした終わりが見えたので。書いていこうと思う。
ゲームは日曜日だけというのが我が家のルールだ。それ以外にやってるのが分かったら父親が窓から投げ捨てていた。あるいは手の届かない何処かに隠されて、日曜日まで手にすることもなかった。 かといって、日曜日は母方祖父母の家で薪割りと薪運びをして、畑仕事を手伝って、鶏に餌をやっていた。朝九時から始めて終わるのは午後の三時。 ゲームがしたい盛りの私には苦痛だった。 今日もゲームは出来ない、かといってゲームがしたいと暴れれば、家を出ていけと追い出される未来しかない。仕方ない、と半ば諦め
約1年ぶりに聞いた10年を有に越えた友人との深夜の雑談を、私は布団の中で堪能していた。友人との雑談は、年齢すらも忘れさせてくれるほどの魅力があり、翌朝の寝起きの辛ささえも甘んじて受け入れられる。気がする。 話題は、近況や、お互いの今好きな漫画やゲームの話。ここが居酒屋なら、酒やツマミの1つあってもおかしくない賑やかさに心が解れていくのが解った。 その最中、彼女は言った。 「今、世の中で求められてるのは、承認欲求を満たすこと」だと。 ゲームのアイコンをタップす
所謂、社会人という鋳型に収まり早7年。 まだまだ世間の酸いも甘いも分からないことだらけで、寧ろ周りの人々のほうが人生経験豊かに思えることも多い。 そのたびに己の幼さ、経験の少なさを悔い、恥に思うことも多い。まあ、その元凶は家族であったが。 私は幼い頃、小説家を夢見ていた。単純に本を読むことが好きなのもあるが、何よりも「お前は何も考えないで話しているから、もう話すな。」と親に言われたことがショックで、文章なら落ち着いて思ったことを書けると分かったからだ。 社会人になるまでは