レンジで3分

 約1年ぶりに聞いた10年を有に越えた友人との深夜の雑談を、私は布団の中で堪能していた。友人との雑談は、年齢すらも忘れさせてくれるほどの魅力があり、翌朝の寝起きの辛ささえも甘んじて受け入れられる。気がする。

 話題は、近況や、お互いの今好きな漫画やゲームの話。ここが居酒屋なら、酒やツマミの1つあってもおかしくない賑やかさに心が解れていくのが解った。

 その最中、彼女は言った。

 「今、世の中で求められてるのは、承認欲求を満たすこと」だと。

 ゲームのアイコンをタップすれば、本を開けば、テレビのリモコンをつければ。二次元のキャラクターたちが無条件に感謝や愛情を注ぎ、主人公に感情を没入した個人がそのキャラクターたちの言動に心や存在意義を与えられる。

 しかも、信頼関係を築くという作業などは一切皆無で。面倒な人間関係も無く、いつだって潜在能力やレベルマックス、リアルな世界じゃド底辺、誰からも好かれないような主人公などコラボ商品のような具材全部入りのおにぎり(でも海苔の付け方が甘くて扱い気をつけないとすぐ溢れる繊細さもある)みたいな主人公が好かれるようだ。

 そんな、一見完璧に見えてめんどくさい塊の主人公をサポートするのは、所謂『おかあさん』のような存在で、いつでも優しい言葉をかけ、好意を向け、温かい料理を作ってくれる。好意があるのも勿論前提――――。


 脳内お花畑とは、このことなのかと素で感じた。

 私の頭には、世の中の人間が寂しさや辛さを感じるとス○夫化して、CV関智○になって「ママー」とか言い出すトンガリ頭の小学5年生がわらわらと走り抜けていく姿が目に浮かんだ。

 如何せん、私は自分の母親に対してそのような甘えに似た希望を小3で打ち砕かれているので、そこまでして母親に縋る子どもの気持ちは理解できないが、心理学的には子は母親が最初で最大の精神的な安全基地になるので、きっとそういうものなのだろう。


 そして、友人は告げる。

「人間、三大欲求と承認欲求が満たされれば生きていける。そして今はそれを画面の向こう側に求めている」と。


 私は暖かい布団に寝転がりながら想像した。汗ばみ始めた足が少し痒い。

無償の愛が与えられ、温かい食事があり、安心することができる。自分は一切面倒なことはしなくても、勝手に愛される数値は上がっていく。それはまるで――――

「コンビニ弁当みたいだね」

 レンジで3分、チンするだけで与えられる愛情と食欲。ご飯が炊ける過程なんてどうでもいい、アニメの前編より後編が見たい、修学旅行の準備なんかすっとばして旅行だけしたい、美味しいところだけを楽しみたい。

 好きなおかずは勿論好物、嫌いな野菜は入れないで。楽しいものだけ享受したい、栄養バランスなんて二の次、世界観のバランスなんて自前のスキルでチョチョイのチョイ。いつでもハッピー幸せな世界。新キャラは勿論、自分の前情報は持っていて、少し話せば高感度アップ、待っているのはハーレムさ。


 そこで一旦ヒートアップした私達の脳裏には、ふとそれぞれの恋愛が蘇った。

「でもさぁ、恋愛って過程も大事だよね。お米が炊けるのを見るのが楽しみだったりする人もいるよね」

「それな」


 酸いも甘いも、10年経てば恋に恋して愛に酔うことを垣間見たことがある者同士。発する言葉はとても重い。

カラン、と私の脳内居酒屋のノンアルコールハイボールのグラスに入った氷が音を鳴らす。

 完成されたものを見ることは「感動」をもたらすが、1から作り上げたものは「満足」を与える。その両者を比べたとき、果たしてどちらがより記憶に残るだろうか。それは多くの場合後者である。

 インスタント食品やコンビニ弁当は、高いけども楽で美味しくてクオリティが高いと満足する。でもリピーターの数や期間限定の場合いつでも手にすることはできない。

 一方、自分で食事を作ることは時間がかかるし美味しくないこともあるかもしれない。でも何度でも挑戦して自分好みに味やレシピを変えられる。それは感動を越えた満足という承認欲求を満たす一歩になると思う。


 私もコンビニ弁当やインスタント食品は時々お世話になる。オムライスが特に好きだ。忙しいときの弁当にも役立つ。でもふと考える。コンビニ弁当は、食べたい人が商品を買うけれど、食べられず値下げや廃棄されるものもある。インスタント食品は、人件費やら光熱費やらで値上げラッシュだ。

それならば、もしかすれば廃棄される無償の愛も、高値の花だと思われて手にすることすら諦められる至上の優しさもこの世にはあって。


 恋愛って、無償の愛って。

 廃棄されることも、白昼夢のようなものも、あるんじゃないのかって。

 課金は気持ちを返す行為になるのだろうか。

 不倫することもインスタントになるのだろうか。

 恋愛をしないことを選択することは、そのどちらも放棄するということなのだろうか。



そんな話をしようとして、時間を見れば午前一時。

脳内の居酒屋が暖簾を下ろす時間となった。


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