都市は温かく、そしてKISA2隊はもっと温かい【死生学×都市論】
ゼミで発表したレポート?エッセイ?を「もっと読みたい」と言ってくれる方が何人かいて、とっても嬉しくなったので、noteでも過去のレポートをちょこちょこ公開することにしました。
個人情報や講義限定で公開された内容などは改変しています。
というわけで、1本目!
都市の温かみと、人の温かみについて。
前置き
このレポートは、KISA2隊(自宅療養者に医療・介護を提供する医療介護集団)の先生が死生学のご講演でいらっしゃったときの考察レポートです。
なぜかレポートのメインを都市論にしてしまったので、KISA2隊さんの活動を知らなくても読めます。
でも、KISA2隊さんのことを知っていただいてから読むと、多分もっと面白いです。よければぜひこちらをご参照ください↓
本編
KISA2隊について、私の印象に最も残ったのは、人との繋がりを重視する姿勢からくる「温かみ」であった。笑いを重視すること、コロナ患者の孤独に寄り添うこと、常にチームで動くことを考えるところなど、常に人と人がつながっていることを想定して動いているような姿勢にほっとする心持ちがした。
一方で、現代の人は孤立を好む傾向にもあるように思う。たとえば核家族化や晩婚化、人口の都市への流出など、積極的に孤立を好んでいる様子が見られる。自分自身も核家族であり、東京で育ち、そして今後も東京に住むつもりで、あまりそこから離れることは考えていない。しかし、あくまで私の感覚ではあるが、それは他の対価のために孤独を我慢しているのではなく、むしろ都市なりの、あるいは核家族なりの「温かみ」を感じてここにいる。一方、たとえば私の学友の中には、大学進学を機に都心に引っ越したことで孤独を感じている人も多くいる。
それでは、「温かみ」とはどこから生じるものなのであろうか。単に「人と人の繋がりの量が多い」という以上に、「繋がりの質」という側面があるのではないだろうか。
そこで、本稿では、都市とKISA2隊がそれぞれ有している、あるいは重要視していると考えられる繋がりについて比較する形で、「温かみ」を発生させうる条件を考える。具体的には、日本の都市についてのコミュニティ論を検討した上で、KISA2隊の皆様が大切にしている点との共通項や相違点をピックアップすることで、より「温かい」コミュニティ形成に向けての指針を得る。
日本の都市におけるコミュニティ論
赤枝(2011)の整理によると、都市のコミュニティに関する議論は、「コミュニティ喪失論」「コミュニティ存続論」そして「コミュニティ変容論」に大分される。コミュニティ喪失論は「都市では人と人の繋がりが消滅している」とする論であり、コミュニティ存続論は「都市でも人と人の繋がりは維持されている」とする論である。それに対し、コミュニティ変容論は、都市の効果が「自発的紐帯の隆盛と紐帯の断片化」(赤枝, 2011)という側面において発生しているとする論調である。
赤枝は、質問紙調査とその分析を通じ、日本の都市においてはコミュニティ変容論が妥当とする立場をとっている。つまり、「むしろ都市の方が部分的に紐帯が豊富であることを示しており、現在の日本において一般に広く流布され、我々の実感にも合致する」(赤枝, 2011)としている。
具体的にどのような紐帯のあり方が都市で生じているかというと、赤枝によれば、日本の都市における紐帯は、以下のような特徴を持つ。
・親族的な紐帯(血縁関係による結びつき)はあまり変化しない
・非親族的な紐帯(血縁関係以外の結びつき)の割合が増加する
・ネットワーク密度(人同士が知り合いであるかどうか)は減少する
つまり、血縁関係以外の結びつきが多くなる一方で、「友達の友達とも友達である」といったような状況は少なくなっているのが日本の都市における状況だと言える。
このことを踏まえると、前文に記述した都市の温かみと孤独の特徴は、以下のように捉え直せるのではないだろうか。
・都市の温かみ:自発的(積極的)な関係構築の自由さ
・都市の孤独:非自発的(受動的)な相互の繋がりの少なさ
KISA2隊に見られる繋がりの特徴
その観点から、KISA2隊が生じさせている「繋がり」の特徴を分析する。
KISA2隊がベースとしている理念は、「非自発的(受動的)な繋がりの創出」と捉えられるのではないか。そう分析した理由は、以下の2点による。
①自宅療養者にオンライン診療や往診を提供:通院などの既存の選択肢に比べて、療養者をその場(自宅)にとどまらせたまま、医療者側が働きかける側面が多い。
②チームとしての組み合わせを模索していく姿勢:各個人による自発的な行動では生まれ得なかった、異なる職種の連携を創出する。
従って、私が「温かみ」を感じたのは、自分が都市で生活する上で不足しやすい「非自発的な繋がりの創出」の実感を感じられたからなのではないかと推測できる。特にオンライン診療や往診の提供は、自発的な繋がりを非常に持ちづらい環境に陥っている自宅療養者にとって、医療へのアクセスという安心感に加えて人との繋がりという点でも強い安心感をもたらしたであろう。
一方で、KISA2隊の活動の中には、都市的な温かみである「自発的(積極的)な関係構築の自由さ」も含まれていると考えた。たとえば以下のような点である。
・母親と息子の治療例において、彼らの意志を尊重し、無理に隔離することをしなかった。
・活動の際には個人の得意分野を尊重し、活かす。
・笑顔を重視して人と関わる(相手の自発性の誘発の意義があると考えられ、相手の自発性を誘発することでコミュニティ参加を促すという点において「自発的な関係構築」と捉えた)
つまり、KISA2隊の活動においては、「各個人の自発性を十分に尊重しながら、必要に応じてある種の非自発的な繋がりを作り出していく」という、いわば「ネオ都市型」の繋がりを形成することができていると言えるのではないか。この繋がりのあり方は、より人が孤独を感じにくいコミュニティ形成において重要であると考えられる。
より広いコミュニティへと適用していく上での懸念点
最後に、KISA2隊の姿勢を、より多様な人が含まれるコミュニティに適用していくことを想定した懸念点についても分析する。KISA2隊がこのように豊かな「繋がり」を創出できる前提には、以下の2点が含まれていることにも着目すべきではないか。
・KISA2隊が医療サービスの提供者、自宅療養者が受益者、という役割が固定されている
・KISA2隊が、強い志を共にしているチームである
つまり、繋がりを提供する側がある程度固定されており、かつ提供する側にかなり強い意志が存在する状況下であるということが挙げられる。これはKISA2隊というコミュニティが意志と役割の点においてある程度同質性が高いコミュニティであると言い換えることもできる。
一般的に、コミュニティが広くなる、あるいは都市などといった場所による結びつきのみを持つコミュニティにおいては、人の志のあり方は多様であり、またお互いがお互いに労力を提供したりされたりといった関係が構築されていく。その中でもなお繋がりが豊かなコミュニティ形成を目指していく場合には、異なる懸念点にぶつかることもあろう。
本稿ではこの点についての十分な検討は叶わなかったが、今後の展望として、多様な立場を踏まえたコミュニティにおいて上記のような繋がりの実践例があるかを検討することで、より「ネオ都市型」のコミュニティ形成に寄与することができ、他の場面でも適用可能な軸やモデルへの示唆を得ることができるのではないか。
また、そのような検討を行うことで、KISA2隊の今後の活動拡大に向けて、微力ながらの力添えを行うことができれば幸いである。
引用文献
赤枝 尚樹(2011). 都市は人間関係をどのように変えるのか──コミュニティ喪失論・存続論・変容論の対比から── 社会学評論, 62(2), 189-206.
感想
2023年の4月に書いたレポート。
当時は何の気なしに書いてたけれど、今の方がむしろ参考になる。コミュニティ作りって難しいわ〜〜〜〜。
ただ死生学の授業の初回のレポートでこれ書くのはちょっと空気読んでなかったなとは思う(先生に爆笑された)。
結果的に自由な空気を作ることに貢献した……か?