息子の話①論理的赤ちゃん
うちの息子(8)が、大人にとっても結構おもしろく、奥深いなと日々思っているので、彼のことについてたまに書いていこうと思う。
育てにくい子?
子育て界隈に入るとすぐに「育てやすい子」「育てにくい子」という言い方に出会う。
大人を困らせてくるのがいわゆる「育てにくい子」。
寝ない、食べない、癇癪がすごい。と言った具合だろうか。
人見知りがすごいと母親以外が面倒見れず、預けられなくて母親の体力が死ぬ。とか、母乳以外受け付けずに母親が子から数時間も離れることは不可。(結果母親の体力が終わる)とか。
それに関すると、息子はよく寝るしよく食べる、私以外の人にもニコニコして抱っこされる赤ちゃんだった。人への執着があまりない。
母乳もあっさり「いらんわ」と卒業。
座る、歩く、言葉が出るといった流れも順調。
もしかして手強い?と思い始めたのは1歳半ごろ。
けど今思えば息子は、その頃から
「今それやりたくない」
「なんでそれをやらなければいけない?」
この感情が早くからあって、それが今も継続している感じだ。
けれど私は「育てにくい」とは感じたことがない。
ちょっと変なやつ。とは今も思ってる。
やりたくないことをやる
大人でもそれは嫌ですよね。
けれどこの日本では、
やってみようね。みんなやってるよ。
みんなでやろうね。
やらなければいけないことなんだから、やるべき。
この流れが当たり前となっていて
私も日本で生きてきたからそれが染み付いている。
みんなで同じことができないやつに、おやおや?という目線が向けられる。
息子は1歳半から保育園に通い始めた。
発表会で動物の帽子を被せられ、並んでいるだけでかわいいね、と大人がほっこりする目的の時間に「帽子うざいしこの時間なに?」という気持ちで、先生が1つ1つ手作りしたであろうクマさんの帽子を床に叩きつけ、はいはいでステージ上から逃走した。なんなく捕獲され、号泣もしていた。
この頃から、こいつ只者じゃないな?という気配はあった。
2,3歳になると
工作の時間おしまいだよ
→まだ制作途中なのに!歌や踊り、楽しいね
→音楽もうるさいし周りもうるさいしむしろ苦痛。整列しようね!
→なんで?どこでもええやん。お友達が終わるまで待とうね
→この立ってるだけの時間なに?
噛み砕くと息子にとってはこのように意味のわからない、メリットが見つからないことばかりだった。
一つ一つ理由を見てみると、工作の時間は食事やお迎え時間から考慮された時間割のようなものなので、途中でも切り上げる必要があり、歌や踊りも保育のカリキュラムの1つで発達に良いとされるし、整列は大人が目視でわかりやすく規律を正すためにも必要、、、などなど全てに意味があるものだ。
けど、2〜3歳の彼を納得させることはできないから苦労した。
自分の作っているブロックの城を蹴って壊されたら怒って相手を叩くし、使っている車を何も言わずに奪い取られたらまた喧嘩になった。
順番待ちをすることも難しかった。
とにかくトラブルが多い。
私の心情は「他の子に迷惑をかけるのだけは無理。」
私は何度も言い聞かせた。
言葉でも、絵でも、何度も、息子の気持ちにも寄り添いながら、
伝わらないとしても、なぜしなくてはならないことなのかを伝え、
時には息子が叩いた子の親の気持ちになって悲しい、と泣いた。
(今は理解し、一方的な暴力は無い)
人に合わせられる側の人間
日本では、生まれて3年足らずの人間に
「周りに合わせる」ことを求め、できなければ「周りに合わせられない子」とレッテルを貼る。
町の子育て相談にも何度も足を運んだ。
「集団行動ができないんです」
「自分のやりたいことを中断させると癇癪を起こします」
「みんなと同じようになんでできないんだろう」
悩む私に保健師さんが言った印象的な一言がある。
「それはね、お母さんが人に合わせられる側の人だから気になることなんですよ」
合わせられる側の人間。
腑に落ちた。
やりなさいと言われたことに疑問を持たず、
「やりたくないなぁ」と思いながらも
「しなきゃいけないし」と割り切ってやる。
それが当然。そうやって生きてきた。
私は正真正銘の日本人らしい日本人だ。
けど逆にそっちの方が問題の場合もあるのでは?
疑問を持たずに、
人の言うことを聞いて生きてこれた。
今もその「世間の当たり前」に準じて生きている。
一方息子は、生まれて2年足らずですでに
「なんでだ!」と怒っていたんだ。
Why japanese people!?がちょっと早すぎやしないか。
息子は言葉を覚えていくにつれて気持ちの爆発を、泣いたり暴れたりする方法以外で伝えられる事ができるようになり、癇癪もだんだん減っていった。
しなくてはいけない「理由」をこちらが説明し、息子が納得できた場合には
すんなりやるべきことをやってくれた。
納得のいく根拠がある → やる必要がある
めんどくさいが、論理的なヤツだな。と思った。
それが4歳の頃だった。
つづく。