#177 人事評価の場面から組織文化と思考様式を見通す 24/5/21
みなさん、こんにちは。
今日は、評価から見えるマネージメントを考えます。
(実例を基に編集しています)
先日、評価キャリブレーション会議にて以下のやりとりがありました。営業職メンバーの評価でした。
評価者の上長Aさん
「業績目標の受注額は未達成です。チームメンバーの離職に伴い、担当商材を引き継いでくれました。それもあり、標準的評価をしました」
同部門の部長Bさん
「急な離職に対応した引き継ぎは確かに大変だったのでしょうが、新規受注目標と実績の開きが大きいですね」
同部門の部長Cさん
「煩雑な契約や請求の手続き系のタスクも裁きながら、尽力してくれてはいますよね」
Aさん
「営業部長のDさんも退職してしまって、前期の活動状況の全体と詳細がともにわからないところもあるのですよね。直近見ていると、がんばってくれているし、成長はしているように見えますね。少し甘いですが、標準的評価をつけたいと思います」
Bさん、Cさん
「わからないなりに成長はしているように見えますね。頑張ってくれていると思います」
概ねこのような、評価決定までのやりとりがなされました。文字どおり、最後は「がんばってくれた。成長はあった」の評価に着地を見ようとしていました。業績評価は標準値、職能的評価も標準的で昇給の評価付けです。
ここで、わたしたち人事部門から、口を挟ましてもらいました。
「それなりのベテラン従業員、かつ等級の格付けも上位ですから、『がんばった。成長した』で評価を終えるのは、やや違和感を覚えます」
「さらに、みなさん自身がマネージメントに時間をかけられなかったエクスキューズに対する評価付けの印象を持ちました。直上長である部長の退職事情も理解しますが」
それを受けて、後任のAさんはじめ、同部門の部長両名からも、
「たしかに、ちょっと甘い評価をしてしまいそうだったかもしれない。指摘の面も言われてみるとそう見えるかもしれません。改めて、今期Bさんの担当部門に異動していることもあり、Bさんからの期待目標の接続も考えて、評価は標準より下げることに変更します。Bさんもよいでしょうか」
こうして、今回の評価が決定しました。
この一連のやりとりから推察できること、マネージメントの課題はいくつか考えられました。
まず、部長レイヤの上位役職者の評価目線でさえ、「がんばった」の情意評価、「成長はゼロではない」の程度を有り無しの二分法的で捉えてしまう思考です。
批判ではなく、上位役職者であっても、従業員の評価査定をするときには、情に流される傾向が強い根本的な性質、あるいは組織カルチャーからくる思考様式を感じます。
次に、「がんばったよね」「成長はしたよね」ともっともらしい評価をしている雰囲気を表出しています。
が、実のところは、自分たちのエクスキューズをするために、評価査定をつけることで免罪符を発行しているような感覚です。これも人の性質や組織カルチャーからくるものかもしれません。
この評価査定の一場面から、人事部門の担当者として、評価者が適切に評価するにはどんな仕組みが必要か、対策を考えていくことが求められると認識できました。
また同様に、組織カルチャーやその行動様式に対する現在地を把握することができ、この点についても、アップデートをかけていく課題を感じました。これから向き合っていきたいと考えます。
さて、みなさんの所属組織では、どのような場面から、見えない何かを見ることができますか。
それでは、また。