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#114 キャリアは状況が規定する「マティス 自由なフォルム」展の感想から 24/3/19
みなさん、こんにちは。
今日は、キャリアは状況から発展する側面があることを考えてみます。
先日エントリーした「環境が自分の存在を規定する」と同じ考え方です。
考えるきっかけは、現在、東京(24.2-24.5 新国立美術館)で開催されているマティス展を観覧して感じたことです。いつもの人事・採用の仕事場面からとは異なります。
まず、マティス自身はこの世界に入ったのが遅く、最初の作品は23歳(うろ覚えです)でした。そこからフォービスム(野獣派)運動の中心人物として、赤、青、緑、黄の原色の「色彩」使いを取り入れていきました。同時に「線」にもこだわった画家のようで、線画作品も多数に描かれました。
キャリアの中では、絵画にとどまらず、彫刻、版画、舞台装飾・衣装や聖職装束のテキスタイル、そして切り紙絵と分野を開発し広げていったようです。
晩年には、旅行で訪れたタヒチに魅了され、そこでインスピレーションを得た海、海の生き物、サンゴ礁などは後年の作品にモチーフとしてたびたび使われていました。
※なお、わたしは美術史や個別のアーティストに明るいわけではないため、解釈や説明の誤りなどはご容赦ください。あくまでもド素人のわたし自身が感じたことです。
さて、この芸術家としての生涯、彼の生き方に、今回の企画展示を通して触れたときに、わたしは「キャリア」を敷衍するに至りました。
彼は、法律を学び、法律事務所に勤務していました。20歳の時に、絵画に興味を持ってアーティストとしての道を歩み始めたそうです。
まず、初めからアーティストとは全く異なるキャリアを歩んでいた点がユニークだと感じます。そして、21歳のときに盲腸で入院した際、母親から提供された画材から絵に出合い、芸術家のキャリア始まりました。
父親には反対されつつも、いまでいうキャリアの自己選択をし、ギュスターヴ・モローに師事し、時機にフォービスム(野獣派)の中心人物になっていきました。
キャリアを開拓していったことがわかる歩みと考えます。
その中で、「線」と「色彩」の2つを追求し、それは彼の特別なスキルになり、特長になり、それぞれが互いに影響しあう連携を大事にしてそれを作品に反映させました。スキルを活かして、自分の個性を立てることにも、現代から見れば成功したと捉えられると思います。
ジャングルジムを縦横無尽に遊ぶように、版画、舞台テキスタイルに幅を広げて、キャリア開発(マティス本人はその意図はないと思いますが)を志向していったのだと考えます。
そして、晩年に差し掛かると礼拝堂の内装デザインから、上祭服、ステンドグラスと、空間プロデュース・デザインといってもよい分野にまで進出しました。
最後には、腸の病気から体力がなくなり、「切り紙絵」と彼の代名詞のように思える制作手法まで創り上げるに至りました。
彼の作品を見ていくと、その時々で出会った、たとえばタヒチの感動を、以後の作品にモチーフとして登場させるなど、自分の個性を作品(アウトプット)に投映しています。
そして、現代のわたしたち後世の人々から、これだけの共感や支持を得ていることは、作品自体もさることながら、彼自身の生き方、キャリアへの無意識の共感もあるのかもしれません。
マティスの生涯から感じたのは、自分≒キャリアは状況が規定する、ことです。何かのきっかけ=状況が、自分の選択を規定する、そんな代名詞の生涯をマティスから感じました。
さてみなさんは、仕事以外の出来事から、アナロジーを働かせて考えることはありますか。
それでは、また。