見出し画像

#132 「成長はしてくれた」の評価スキル 24/4/6

みなさん、こんにちは。
今日は、何かを評価する、表現をする際の「程度」の捉え方を考察してみます。

きっかけは、人事評価のキャリブレーション会議で、毎回出てくる話です。
ある評価者の課長が、従業員がどんな成長があったのか、説明をする場面の発言です。

まず、当社の評価制度は成長そのものを評価するものではありません。一方で、評価者は能力伸長があったか、成長があったか、その度合いはどうか、を基準としている現実も、人事担当者として謙虚に受けとめておく事実でもあります。本来の制度は、スキル獲得や能力伸長の成長があった結果として、アウトプットする成果、それ自体はどうなったのか、が評価のものさしです。逆に言うと、スキル獲得したかどうかはアウトプットで測定するのが最適だの考えに基づいています。

成果が量的あるいは質的にどのように変わったのか、「変化度」をものさしに評価をします。これが、一般に言うところの情意や意欲評価や職能評価にあたる評価の仕方です。

その評価ものさしの前提で、課長とのやり取りが今期も散見されました。

まずある従業員に対する、課長の評価説明です。

課長
「目標とした達成基準には達しなかったです。お客様の課題を把握しに行こうと主体的に動いてくれたのですが、各種のステークホルダーとの調整ごとがなかなか円滑に進みませんでした。それでも最終的には私(課長)が支援しながらですが、提案まではやりきってくれました。お客様の課題のヒアリングから提案まで一気通貫に主体的に進めてくれた点を成長と評価しました」

いくつかの質疑があって、人事部門のわたしからの意見と質問もしました。

人事担当(わたし)
「半期の間、真剣に仕事に取り組んでいれば、誰しも成長はすると考えます。この従業員も成長が見られた点にはわたしも相違ありません。その上で、当社の制度は成長したかどうかでの評価ではありませんね」

「ですから、期初と比べて今、ビフォーアフターで、何が・どう変わったのでしょうか。たとえば、出せる価値の大きさや品質が変わったのか。その再現性は確からしいか。あるいはその価値を生み出す生産性が向上しか否か、の観点から説明は可能ですか」

課長
「期初と現在でビフォーアフターどのように変わったのか、を定量的に図るとはどうしたらよいですか」

人事担当(わたし)
「成果や成果物をものさしとして評価するが最適と考えています。それを見て評価することで、○○課長の言う成長したと判断できるかな、と考えています」

課長
「自ら考え、能動的に、人を巻き込んで推進してくれたのです。ですから成長したと評価しています」

といった会話でした。

これをみると、上長は何を評価しているでしょうか。
それは、懸命に仕事に取り組んできた人に対して、「がんばったこと」を判断基準と評価していると考えます。そして、成長自体はしているのだから、「がんばった」だけの情意評価ではなく、それなりに「成長」を説明することができる、そう考えているのではないでしょうか。

そのときに必ずといっていいほど出てくる発言がこれです。
「成長がまったくないわけではなく、少しだが成長は見られた」

成長の変化度がどれくらいであれば、ポジティブな評価できるのかが問題です。およそ変化度がゼロではない場合、あとは課長同士のプレゼンの上手さ勝負、言ったもの勝ち、となってしまいます。ですから、アウトプットとして出てきた成果・成果物をベースに、その変化の「程度感」を掴むことが良いと考えます。

さて、みなさんは日常の会話の中で、ゼロではないのはわかるけどそんなに大きく変わったわけではないよ、と感じるようなシーンにどんなものがありますか。
それでは、また。

いいなと思ったら応援しよう!