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#207 要するに、とまとめることの功罪 24/6/20

みなさん、こんにちは。
今日は、「要は」とまとめてしまうこと、について考えます。

(実例を基に編集しています)
先日、わたしの所属する人事部門から、人材育成に関する議題を事業責任者たちとディスカッションする場がありました。そこでの一コマが考えるきっかけです。

わたしたちの会社では、1on1に取り組んでいます。その取り組みを通じて、人材育成を、従業員の成長を支援していくことを志向しています。その従業員の「成長」「育成」を、どのように捉えるか、の考え方を煮詰めるための議題でした。

事業責任者Aさん
「現場責任者とメンバーの1on1では、業務の話がほぼほぼになっていると課長や、幾人からのメンバーから聞いています」

事業責任者Bさん
「うちも、話のネタがタスク課題に関するものが中心と捉えています。さらにその中身は、メンバーから相談されて、それに対して解答を指示するに留まっています」

事業責任者Cさん
「うちの事業は、相談事をしても上長の武勇伝を聞くことになるから、相談自体をすることが少なくなっている、とヒアリングのサンプルから出てきました」

事業責任者Dさん
「仕事の話題以外、プライベートなネタを中心に1on1を実施している現場が多いです。事業としてもそのようなディレクションをしているためです。しかし、どこまでプライベートに突っ込んでよいのか、と現場責任者から声が上がっています」

わたし
「みなさんが現場を捉えてもらった通り、今、現場の多くの1on1は、日々の業務で生じた問題に対して、上長が解決策を指示する、教える、の構図がです。これはもちろん大事です。ですが、1on1の対話がタスクやその解決策ばかりに集中していると、従業員の「成長」には至りません。あくまでも、その業務で生まれるトラブルシュートの引き出しが増えるだけ、になってしまいます」

事業責任者たち
「確かにそうですね。たとえば、もっと自社の方針や戦略にも興味を持ち、その目線で顧客やサービスについて現場でも話しているようにしていきたいですね」

わたし
「従業員成長の視点から1on1を見ると、各事業部門のとおり、目先の業務課題の解決スキルが上がるのみです。それは今の業務習得に留まることです。応用力が持てないことがレイヤー1の問題です。次に、よりクリティカルな問題は、業務習得でVisibleなアプリケーション的な学びでしかないことです」

「人が成長=学習するとは、無意識に使っている規範、マインドセット(価値観、バイアス、成功・心配体験、思考の枠組み、行動の癖など)に気づき、アップデートしていくことと考えます。アプリに対して、オペレーティングシステムが更新される、入れ替わるイメージです。ここにアプローチする1on1にしていきたいと、私は考えています」

事業役員
「各事業責任者のみなさん、要は、アンラーンすることです」

こんな一連のやり取りがありました。
最後の、役員の一言が、わたしは「あぁ」と感じてしまったことです。何かといえば、一般的な汎用語にしてしまうと、思考が停止してしまうからです。

事業責任者クラスであれば、アンラーニング、はある程度知識を持ち得ています。ですが、人材開発や人事の専門家ではありません。「アンラーンだよ」とまとめられてしまうと、その意味を咀嚼し理解するフェーズをスキップして、わかった気になってしまう可能性がかなり高くなります。

ですから、その意味を、自分たちの事業なりに解釈して、要素分解して、意味理解をしていくプロセスを踏もうと考えていたのです。ですから、詳細に解説を加えて、マインドセットがどのこうの、今はアプリケーションの学びである、とメタファーを使い話をしていたのです。

そこに、切れ味よく一言で「アンラーン」とまとまられてしまったのです。

「要するに」とまとめることは、ビジネスシーンではむしろ推奨されることが多いです。要は、サマリーすると、と求める・求められることが多いです。逆に、その抽象化ができない人のほうが多く、スキル的課題に挙げられます。

一方で、このようなケースのように、理解を深めていく途中で、パッとまとめてしまうことは、思考をストップさせてしまう、理解を止めてしまうことにもつながります。

コミュニケーションとは、難しいものと、改めて感じたできごとでした。

それでは、また。

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