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#250 採用面接で全人格的に評価してしまう問題 24/10/2

こんにちは。
今日は、久しぶりに採用面接とその評価について考えます。

(実例を基に編集しています)
先日、ある事業部門の採用面接でのできごとが考える発端になりました。それは、その求人に必要な採用基準=経験や実績、それを裏付けるスキルが合格圏にもかかわらず、全人格的な理由で不合格と判断したことです。

「全人格的」とは、採用決裁者の部門責任者が実際に発した言葉です。その責任者がここで言う「全人格」とは、「生き方」、掘り下げていくと過去の転職理由や、学生時代の遍歴も含めてのことでした。

採用状況や背景によっては、このような判断基準にある程度重みを置いて合否を決めることは否定されるものではありません。

しかし、この当該事業部門は、採用計画数に対して、かなり遅れを取っている事業部門でした。その要因として、その事業部門長がそのポストに立ってから日が浅く、自身の担当するサービス領域の特徴・特長、それに基づく採用候補者への訴求点が言語化できていませんでした。採用面接においても、どんな判断基準をもとに合否を決めるか、採用候補者の年収条件や等級の格付けをどう判断するか、このあたりに正解を模索している様子がうかがえました。

採用面接や従業員の査定など「評価する」行為において、人格的なこと、もう少し分解すると、その相手の価値観、スタンス、考え方などマインドセットに対して価値判断を重視するケースが非常に多くあります。面接官や評価者自身の「良い、悪い」の価値基準に基づき、それを決めています。

あるいは「コミュニケーション力」と広い範囲を指す対人能力を指して、コミュ力が高い・低い、と価値判断をしています。こちらはほぼ99%の人が重要なものさしにしていると考えます。もちろん、このコミュニケーションが期待される成果を出す構成要因の半分以上を決める(決めているように見える)のも心理的事実です。

さて、わたしは、この人物評価を希求したい考えはわかった上で、前段の相手の持っている価値観・規範への評価や、後段のコミュニケーション力を評価することは避けたほうがいいと考えます。あるいはそれらを評価している自分に自覚的になることが大切だと考えます。

なぜそう考えるか、です。

価値観などについては、まさに多様性・ダイバーシティの話だからです。コンプライアンスに反するような価値観は別ですが、それ以外について相手がどのような価値基準をもっているかは、むしろ多様であるほうが良いからです。逆を言えば、無意識のうちに、同一性・同質性を求めすぎてしまっているからです。ですから、同質的な価値基準を持つ人を求めている自分に自覚的になることが必要に感じます。

もう一方のコミュニケーション力については、2つあります。1つは、価値観と同様に、評価者自身と相性の良い、自分が好むコミュニケーションスタイルを選んでいることが大半だからです。もう1つは、面接や日常の仕事で表出されるコミュニケーションは、その面接の場やチームといった状況や環境が大きく影響するからです。要するに、場の環境(チームメンバーやその場面)によることが大きいからです。

言い方を変えれば、コミュニケーションをはじめ、能力やコンピテンシーなるものは、その人に内在的にあるものではないと考えます。その場の条件や環境によって、いろんな形になって表れるもの、と考えるからです。たとえば、チームのメンバリングよって、前に出たり、後ろから支援したり、とその行動までも変わるからです。

まとめると、全人格的な要素で、面接や査定において他者を評価してしまうことに自覚的になること、できればそれは評価のものさしにできるだけ入れないことがよい、と考えます。

さて、みなさんは、自分が何かを評価するときにどんなものさしを用いていらっしゃいますか。
それでは、また。

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