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「なんなら」ってなんなら?
先日両親と車でラジオを聞いていたら、でかみちゃんの若者言葉が耳についた。すると父が、私の口癖で「なんなら」が気になると言っていた。
「なんなら」の意味
調べてみると、「なんなら」は伝統的用法に加え、最近意味が広がっているようだ。
伝統的用法は、相手が言いにくいことを仮定して「もし〇〇だったら、~しましょうか」という使い方をする。「なんなら、私から電話する?」「なんなら、うち泊まっていく?」みたいな感じだ。
最近の用法は、私なりの解釈では「さらに上をいく強調」。「明日は早起きしなくていいし、なんなら昼まで寝られる」「プリンが好き。なんならスイーツで一番好きかも」とか。
私はどちらの用法も使う。
ところが、父の言う違和感はこの最近の用法のことではなかった。そこまで言葉に敏感ではない。
父は岡山県出身。岡山弁で「なんなら」といえば「なんなの」とか「なんだぁ」みたいな意味になるよう。「なにしょんなら~(なにしてるの)」などと言うらしい。私は首都圏の生まれ育ちなのでこの意味の「なんなら」は全く使わない。
イメージの悪い岡山弁
小さい頃から父には「なにしょうるん(何してるんだ)」とか「やちくそもねぇ(くだらない)」とか、よく言われていた。いちいち標準語に翻訳して理解していたわけではないが、全体的に非難されていると感じていた。親が子に言うセリフなので上から目線で「何くだらないことしてるんだ」というニュアンスが伝わる。
これが岡山の子供同士の会話なら「なにしょうるん」も「なにしてるの、入れてー」みたいにポジティブに聞こえるかもしれないが、私が耳にしてきた岡山弁は残念ながら相手を非難する言語なのだ。
たまたま父はあまり「なんなら」と言わなかったので、私も岡山弁を全く意識することなく「なんなら」を使うようになった。
「なんなら」に違和感を覚えている人は、よほど言語に敏感な人か、岡山県民だ。