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ゆらぎのあるレゴを作って生命について考える

生命というのは一筋縄ではいかない厄介な概念です。

生命の定義とは何かを調べてみるとかなり込み入った説明がなされていることがあります。一般的には、代謝や複製などをおこなうものという定義が受け入れられているようですが、それで十分なのか、ウイルスは生命なのかというようなことを考えだすと専門家の人たちの間でもいろいろな意見があるようです。

生命がどのようにして誕生したのかということについても、様々な研究がなされているにも関わらず依然として多くのことが分かっていません。一般的には単純な分子が化学反応によって徐々に複雑な分子に進化していったと考えられてはいますが、単純な分子とは具体的に何なのか、それらの反応はどこで起きたのか(地球上か宇宙空間か)ということに関しては活発に議論が交わされているテーマとなっています。

真面目に生命を考えるととたんに難しくなるのは、生命というものは機械と違って一定の状態や形を保っているとは限らず、何かをつかんだと思ったらその時にはもう別の何かになっているような、絶えず変化する捉えどころのなさを同時に持っていることに原因があるような気がします。

科学のベースにあるのは西洋におけるものの見方ですが、古代ギリシア以来、西洋哲学で重視されている”理性”や”言語”というものは不変なもの(もしくは、ある程度の時間一定なもの)を考えることは得意な一方、常に動き続けているものを認識しようとすると泥沼にはまり込んでしまう弱点があるようです。理性(論理)や言語を用いるには、最低でも短期間は、対象は変化せずその場に留まっている必要があるためなのでしょう。フランスの哲学者ベルクソンは西洋哲学の方法を”固体化”と呼んでいます。

どうやら生命は機械と異なり、固体の枠組みだけでは捉えられないようです。しかしだからといって、生命は完全な流体ともまた異なるため、東洋哲学のような”流体化”するような認識で捉えられるのかというとそれも何だか違う気がして、生物学者でも哲学者でもない筆者にはよくわかりません。自らの性質(性能)にしたがって動いているのが機械だとしたら、生命はそのような機械的な性質と、環境の中に漂いながら自らを変化させるという、受動的な性質の抱き合わせで動いているのかもしれません。

生命のゆらぎを模擬する
さきほど、生命は単純な分子から徐々に複雑な分子に進化する(化学進化)ことで発生したと述べましたが、この考え(オパーリン仮説)に関する有名な実験としてユーリー・ミラーの実験があります。これは原始地球の大気を模した水(水蒸気)、メタン、アンモニア、水素の混合気体に放電によってエネルギーを与えたあとで冷却したところ様々なアミノ酸が生成されたという実験です。

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分子は周りの環境に合わせて結合が壊れたり安定な状態になったりしますが、この4種類の気体を用いた場合、放電のエネルギーで結合が切れてバラバラになった分子が冷却過程で新たに結合してアミノ酸になることが分かったのです。原始地球の大気成分に関しては、その後の研究の進展によって批判も出ているものの(地球はメタンのような還元的な大気ではなく、二酸化炭素のような酸化的な気体が主成分だったのではないかなど)、今でもユーリー・ミラーの実験は生命の起源に関して最もインパクトのある実験となっています。

今回、このような結合が切れて分子がバラバラになったり、逆に原子が結合したりする様子を模擬するため、おもちゃの磁石ボールを水流ポンプを取り付けた水槽内に入れてみました。

ポンプ付近の強い水流から大きなエネルギー(この場合は運動エネルギー)を得た磁石ボールは、結合が切れてバラバラになります。しかし、水流の弱いところまで流れた磁石ボールは磁力で再び結合していきます。

はじめ磁石をそのまま水槽に入れたのですが、磁力が強すぎて離れないのと磁石の密度が高いのとでうまく水の中を漂いませんでした。そのため、磁石ボールを百円ショップで売られている”おゆまる”で包んでボール間の磁力を弱め、密度も小さくしています。

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こうすることで、ボールは水の流れに従って水の中を漂いながら離れたりくっついたりします。

小さな部品を組み立てて形状を作るおもちゃとして有名なものにレゴがありますが、この磁石ボールのおもちゃがレゴと決定的に異なっているのはできる形にゆらぎがあることではないでしょうか。レゴは人間の頭の中にある設計図に従って形を組み立てるのに対し、水の中の磁石ボールには設計図のようなものはなく水流のような周囲の環境や磁力という自らの性質に従うことで、形が出来上がっていくのです。そのため、できた形は不変ではありません。水流の影響が磁力の影響より強ければ磁石は離れ、弱い場所ではくっつきます。また、くっついている磁石ボールも各々のボールが受ける水流の向きの乱れに応じてねじれたり曲がったりと、形が絶えず変化して(構造がゆらいで)います。そのため、理性や言語である状態を認識したとしても、次の瞬間にはもうその状態はありません。ボール同士が作る形はレゴのような固体の形状とは異なっているのです。ただし、それは液体ともまた違っています。なぜなら、一つ一つのボールは水の中に存在しているからです。

形があって形がない。絶えずくっついたり離れたりする。

自らの性質と周りの環境とが密接に作用しながら変化していく磁石ボールの形状は、固体とも流体ともつかない生命の捉えどころのなさになんとなく通じているような気がします。

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