横光利一 作『笑われた子』を朗読しました。
両親と兄姉が、毎晩自分をどの職業に就かせるか話し合っている…。
そんな窮屈な日々を送っている主人公の吉。
ある日、夢の中で不気味な顔に追いかけられたことがきっかけで、吉は憑りつかれたように、夢に出て来た顔を彫って仮面を作るようになります。
完成した仮面の出来の良さに驚いた父の一言で、吉は下駄屋になったのですが…。
こういったお話の場合、なんとなく「天啓を得た主人公が成功を掴んで幸せに暮らす」、そんなラストなのかなあと思ってしまうのですが、この物語はそう綺麗に終わりません。
吉の彫った仮面は、彼の家の鴨居の上にずっと飾られています。
お前のせいで下駄屋になったのだ、と怒りをあらわにする吉ですが、彼の半生とは一体どのようなものだったのでしょうか。
そして、もし夢に不気味な顔が出てこなかったとして、彼は幸せに暮らせたのでしょうか。
優れた特技があったとして、親の言うことに素直に従ったとして、必ずしも幸せになれるわけじゃないんだよなあ、とか。
もしかしたら、同じ道を進んでも、気の持ちようが違えば幸せに暮らしている吉もいたかもしれない、とか。
人生って単純じゃないんですよね。
もちろん簡単にいくこともあるけど、ちょっとしたことでルート分岐してしまうし…。
なーんて、色々と考えてしまうお話でした。
読む人によっていろんな感想がありそうだな、とも思います。