「緑柱石の追悼」
愛猫が逝った。
突然ではなく、二年半の闘病の末であった。しかし覚悟など、出来たものではなかった。
彼の死後、毎晩家に帰るのが怖かった。居ない、という現実を頭から被せられ、それを拭い切れぬまま玄関へ立つと、ぐーっと重たい痛みが鳩尾にくる。受け入れられはしないが、忘れてしまわないように、毎日彼を撫でた感覚を思い出す。
二週間程経った頃、現実から逃避する為に文庫本を数冊買った。いつも同じものばかり読んでしまうので、物書きの勉強も兼ねて名作に手を出してみようと考えた。太宰治や夏目漱石を手に取った後、当たり前かのように宮沢賢治の銀河鉄道の夜も手にしてレジへ並んだ。帰宅後、理由なく銀河鉄道の夜から読み始めていた。
私の想像力では、宮沢賢治の世界を完璧に思い浮かべることはできなかったと思う。星はどこまで美しいのか。あの夜の儚さは、若い青さを限りなく黒に近づけた紺色に感じた。
物語の中盤、私はジョバンニになったつもりで列車に乗っていた。向かいに座るカンパネラは、愛猫に置き換えていた。ザネリは彼(愛猫)が患った病気とでもしよう。勿論私はジョバンニのように純真無垢ではないし、彼もカンパネラのように私を思いやったりしてはくれないだろう。
終盤、死の香りがしてくる。読む手が震えた。南十字から帰還後、ジョバンニはカンパネラの死を知る。ここで心は痛んだが、最後に父の知らせを聞いたジョバンニが、牛乳を持って母の元へ帰る。この行動によって、私はとても救われた気がした。もしこのラストが悲しみのみで終わってしまっていたら、私は愛猫の死から立ち直れなかっただろう。ジョバンニが駆け出してくれたおかげで、私もつられて駆けた。
もし愛猫と列車の中で話ができるのだとしたら、訊きたい事は山程ある。
週に何度も病院に連れて行かれて、嫌ではなかったか?
最後の一ヶ月、頑なに私の部屋に居たがったのは何故だ?
家に来て、幸せだったか?
もっと永く、生きたかったか?
私はこの先の人生で、もう一度猫を飼う事はないだろう。どうしても彼の面影を、重ねてしまうから。
どうか、苦しみや痛みから解放されて。
暖かい場所でゆっくり眠って。
好きなだけ走り回って。
沢山美味しいもの食べて。
親や兄弟と再会していますように。
また、会えますように。
自分自身に言い聞かせる為に、もう一度。
愛猫が逝った。