No.3『玩具修理者』
玩具修理者は何でも直してくれる。独楽でも、凧でも、ラジコンカーでも……死んだ猫だって。壊れたものを一旦すべてバラバラにして、一瞬の掛け声とともに。ある日、私は弟を過って死なせてしまう。親に知られぬうちにどうにかしなければ。私は弟を玩具修理者の所へ持って行くのだが……。
現実なのか妄想なのか――。
全選考委員の圧倒的支持を得た第2回日本ホラー小説大賞短編賞受賞作品。
(裏表紙より)
小林泰三さんの作品は、『クララ殺し』だけ読んだことがあった。夢と現実を行ったり来たりするダークファンタジーとミステリが融合した作品で、だんだん夢と現実の境目が分からなくなるような不思議な作品だった。なんだかすごいものを書く人だなあ、と思っていた。Twitterでたまたまこの『玩具修理者』に関する話が流れてきて、「クララ殺しの人じゃん!」と早速読むことにした。
この『玩具修理者』の文庫本は、表題作である「玩具修理者」と、もうひとつ「酔歩する男」という作品の2つが収録されている。どっちも面白かったので、両方の感想をそれぞれ書こうと思う。
玩具修理者
「玩具修理者」は、先に引用したあらすじの通り。喫茶店で男女が会話をしている。女がいつもサングラスをかけていることに対して疑問を抱いていた男が、その理由を尋ねたことから、女の「玩具修理者」の告白が始まる。自分が子どもだった頃、近所に玩具修理者と呼ばれる存在がいて、彼は竹とんぼでもゲームソフトでも、壊れたものなら何でも直してくれると。ある日、彼女は過って赤ちゃんである弟を死なせてしまい、同時に自分も大けがを負う。途方に暮れて弟を抱えて歩いていたら、「死んだ飼い猫を玩具修理者に直してもらう」と話す友人のことを思い出し、弟を玩具修理者に‶直して„もらおうと思いつく。
『クララ殺し』の時にも思ったが、小林泰三さんの作品は、現実感のないグロさが特徴的で面白いなと思う。「玩具修理者」でも、現実ではありえないようなグロい表現がちりばめられていて、それがすごく面白かった。猛暑の中、死んでグニャグニャになった弟を必死に抱えて歩く少女。汗や体液の臭いが実際にしてくるような、生々しくてグロテスクな描写。生々しくてリアリティーがあると同時に、現実離れしすぎていて「夢の話?現実?」と頭がこんがらがってくる。
怖くてグロいだけじゃなくて、考えさせられる部分もある。この話は、我々読者に、生物と無生物の違いについて問うてくる。当たり前で常識だと思っていたものに関して、「それって本当に正解か?」と揺さぶりをかけてくる。
「その時計には生命がなくて、人間には生命があるとどうして言い切れるの?時計に生命があって、人間に生命がないかもしれないじゃないの」
「生物と無生物なんて区別はないのよ。機会をどんどん精密に複雑にしていけばやがて生物に行きつくの。その間になんの境界もないわ」
これらの文章は作中で女が発するセリフだが、多かれ少なかれ同じようなことを考えたことがある人はいるのではないだろうか。僕もある。猫は生きてて、猫のぬいぐるみは生きていないって、どうして言い切れるだろうか?小さな頃、純粋な疑問としてそんなことを考えていたことを思い出した。
話が進めば進むほど嫌な展開になっていき、最後のページでガーンとやられる。読み終わった後は、すごく気持ち悪い悪夢から目覚めたような、なんともいえないゾクゾク感があって、すごく面白かった。読み終わってから、これはメルヘンなのか?ファンタジーなのか?現実なのか?としばらくフワフワした頭で考えこんでしまった。
酔歩する男
この話は、本当に壮大で複雑すぎて、正直今でもきちんと咀嚼できたという自信はない。感想を書くために何度も読み返したのだが、まだ理解できていない気がする。
主人公の血沼(ちぬ)は、飲み屋で小竹田(しのだ)と名乗る男に「私のことを覚えていますか」と話しかけられる。血沼は小竹田のことなど知らない。そう言うと小竹田は、血沼とは「初対面だが親友だった」と矛盾したことを話す。最初は変な人なんだろうと気にかけない血沼だが、あまりにも自分のことを知っている小竹田に興味を持ち、話を聞くことにするのだが、小竹田の話す「過去の話」はあまりにも衝撃的なものだった。
「酔歩する男」、いや~~~難しかった。ありえん難しかった。ものすごく簡単にまとめると「1人の女性をこの2人の男が取り合う話」「タイムトラベルモノの話」という感じになるのかなぁと思うが、実際はそんな簡単な話ではない。
さっきから難しい難しいと連呼しているが、じゃあ全く楽しくないのかというと全然そんなことはない。話が複雑ではあるものの、読み進めていくごとにじわじわと恐怖が増幅していく。文字だけでここまで恐怖を与えていく表現は本当にすごいと思う。
とにかくびっくりさせられたのは、「タイムトラベラーをこんなにも負の意味で書くことができるのか!」ということだ。確かに過去の悲劇を未然に防ぎたいからと自分で好んでタイムトラベルができる身体になってはいるが、それがここまでしんどい展開になるとは、とかなり驚いた。タイムトラベルというとドラえもんだったりバックトゥザフューチャーだったり、とにかく楽しくてワクワクする作品がほとんどで、僕もそんな作品を見て育ってきたので、「タイムトラベルして過去とか未来行きたいな~」と軽率に思っていたが、この作品を読んでから完全に気持ちが変わった。タイムトラベル、怖すぎる。
こんな怖いタイムトラベルを思いついた小林泰三さんは、本当にすごいなと思う。脳をいじったらタイムトラベラーになるなんて、なかなか思いつかない。しかも自分の行きたい時代にはいけない。いつどのタイミングでどこに飛ばされるかわからない。怖すぎる。逃げることも死ぬこともできない、まさに無間地獄だ。自分だったらどうするだろう。確実に発狂するし、何度も死のうとするだろうが、そうしたところで何も変わらないしタイムトラベルは終わらない。死のうとして、発狂して、そのあとはどうなるだろう。想像もつかない。
そして、最後に近づくにつれ恐怖もどんどん大きくなる。女性がなんだタイムトラベラーがなんだと信じがたい話を延々と聞かされた血沼は、もちろんすぐにはその話を全く信じておらず、楽しいお話でしたと受け流そうとする。だが、次の瞬間、小竹田の話を信じざるを得ない決定的な出来事に出会ってしまう。そこから先のことは、本当に読んでいて鳥肌が立った。見知らぬ男から突飛な話を聞かされて、今までと同じように生きることができなくなる血沼はあまりにも不憫すぎる。
「玩具修理者」では、生物と無生物の違いを揺るがしてきたが、「酔歩する男」では、時間という概念を根幹から揺るがしてきた。時間なんてものは我々ひとりひとりの脳のなかで展開されているものであって、実際には存在しないのかもしれない。そう考えると、足元がグラグラとおぼつかないような気持ちになった。
ここからは2つの作品をまとめた感想になるのだが、2つとも、神話がベースになっているらしい。物知りな人は読みながら気づいたらしいのだが、頭が空っぽな僕はあとがきを読むまで全く何一つも気づかなかった。
「玩具修理者」は、クトゥルフ神話がモチーフになっているらしい。作中で出てくる「ようぐそうとほうとふ」や「ぬわいえいるれいとほうてぃーぷ」は、何かしらクトゥルフ神話に元ネタがあるそうだ。クトゥルフ神話なんて、「恋は渾沌の隷也」の歌詞に出てくるニャルラトホテプしか知らないなァ~~と思ったところでやっと「ぬわいえいるれいとほうてぃーぷはニャルラトホテプか!」と気づいた。
「酔歩する男」は、言われても何もピンとこなかったが、「菟原処女(うないおとめ)の伝説」という日本の神話がモチーフになっているそうだ。この神話も、登場人物も菟原壮士と茅渟(ちぬ)壮士であり、名前の由来になっていることが分かる。そして「酔歩する男」に出てくる女性の名前が菟原手児奈というのだが、手児奈という名前は同じく日本の「真間の手児奈伝説」という話が元ネタだそうだ。また、「菟原乙女の伝説」は1人の女性を2人の男が取り合う話で、まさに「酔歩する男」の元ネタといったところだ。面白い。元ネタを知ってたらもっと面白かっただろうなぁと思う。僕は何一つも知らなかったので、「すごいや」と思うことしか出来なかった。悔しい。
どっちの作品も、異臭が漂ってくるような生々しさと狂気に満ちていた。読み終わった後、得体の知れない不安感がまとわりついてめまいがするようで、どうにも落ち着かない。でも不快感ではなく、いつまでも浸ってたいような、本当に独特な面白さがあった。
No.3『玩具修理者』
著者:小林泰三/出版:角川ホラー文庫
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