思い違いなのかな?
思い違い。
実際とはちがうことを、事実と思い込んだり理解すること。
思い違いすることは誰にでもある。
今日は金曜日だと思っていたら木曜日だった。
財布に10,000円札があると思っていたら5,000円札だった。
驚安の殿堂『ドンキ・ホーテ』ではなく、『ドン・キホーテ』だった。
全て思い違いである。
ではこれも思い違いなのだろうか?
15年ほど前のことだ。
中国で働いていた時、社員各々のデスクに鍵付きの移動式3段ワゴンがついていた。
ある日私は、その3段ワゴンの鍵を紛失したため、総務部のチョウさんに助けを求めた。
チョウさんは、流暢な日本語を話す30代半ばの中国人女性で、既婚の子持ち。
チョウさんと私は、仕事帰りに食事に行くような仲ではなかったが、休憩室で世間話をするくらいの仲ではあった。
パソコンに向かって仕事しているチョウさんに鍵の紛失を伝えると、彼女は手を止め、視線を上げて言った。
「じゃ、これを使ってください。」
彼女はそう言うと、自分が使っている3段ワゴンの鍵を抜いて私に渡してきた。
どういうこと?
私が「この鍵はチョウさんのでしょう?」そう問うと、彼女はこう答えた。
「そうですよ。使ったら返してください。」
ハサミやホッチキスを貸すような言い方だが、私の手にあるのはチョウさんの鍵。
しかし、あまりにも自然だったため、3段ワゴンの鍵は中国では共通なのかもしれない。
そう少し期待を寄せながら自席にもどった。
そして、チョウさんの3段ワゴンの鍵を、私の3段ワゴンの鍵穴にさして回した。
すると、鍵は・・・
開かなかった。
当然だ。
もし開いていたら鍵の意味がない。
とはいえ、開くかもしれないと期待した自分が少し恥ずかしい。
私はチョウさんの席に再び行き「開かなかったよ」そう言いながら鍵を返した。
するとチョウさんは、私が手渡した鍵、つまり自分の3段ワゴンの鍵を鍵穴にさして回し、引き出しを開けてこう言った。
「おかしいですね。私のは開きますよ。」
チョウさんの瞳には、開いた口が塞がらない私が映っていた。
これも思い違いなのだろう。
たぶん。