Rの散歩

妻と3歳の男の子を持つ父です。趣味は農業、読書、旅行、散歩。日課である散歩をしていると色々な気づきがあります。それは人生も同じ。日々の気づきや発見、感じたことを文章に起こしています。自由気ままに。

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妻と3歳の男の子を持つ父です。趣味は農業、読書、旅行、散歩。日課である散歩をしていると色々な気づきがあります。それは人生も同じ。日々の気づきや発見、感じたことを文章に起こしています。自由気ままに。

最近の記事

4年後、息子の悔しさと共に雪辱を

パシュート 3人一組で隊列を組んで滑りタイムを競うスピードスケート。 先日閉幕した北京2022オリンピックで私が1番楽しみにしていた競技が、女子団体パシュート。 前回の平昌五輪で金メダルを獲得したメンバーで今回も挑み、決勝に駒をすすめた。 その決勝が、息子(3歳)を保育園に迎えに行った帰りの車中で始まった。 家までは目と鼻の先ではあったが、私は車を止め、カーテレビを指さし、後座席のチャイルドシートに座る息子に言った。 「この白い服を着たお姉ちゃんたち3人が、日本を

    • 指切りげんまんに7年

      私は19歳。 彼は22歳。 彼と私は幼馴染。 川に行って魚を獲ったり、近所のレンコン畑でかくれんぼをしたりと、物心ついた頃から私は彼と一緒だった。 彼はこう言ってくれた。 「もどったら結婚しよう」 ごつごつした手を私の頭にのせ、小指をだして指きりげんまん。 1939年9月 第二次世界大戦 瞬く間に平穏な日々は消えた。 でもひとつだけ、私の心が安らぐときがあった。 彼の両親あてに届く、彼からの手紙。 文面の最後にいつも一言だけそえられている。 「”かれ”

      • 妻の悪しき習慣

        私の妻はおっとりした性格で、人を批判することなどめったになく、物事を肯定的にとらえることが多い。 一方で私は、”いらち”でせっかち、人をすぐ批判する、斜めに構える、妻とは正反対の性格だ。 息子(3歳)はというと、のんびり屋で争いを好まず、やさしい話し方をするところなどは妻によく似ている。 私の影響を最小限に、妻の影響を最大限うけながら、息子には成長してほしいと心底願う。 ただ一点、妻の影響をうけてほしくないところがある。 『オヤジギャグ』 前々から妻は、オヤジギャ

        • 自信が確信に変わった瞬間

          息子(3歳)が私に向かって叫ぶ。 「おしっこ!」 私は急いでトイレに走り、子ども用の補助便座をおく。 トイレの前で「はやく、はやく」と言いながら、ジタバタしている息子のズボンとパンツを脱がす。 そして抱きかかえ、そのまま便座にダイブ。 スッキリすると「(おしっこ)でたー!」と息子が叫ぶ。 私はトイレに再び戻り、我が物顔で便座に座っている息子をおろし手を洗ってやる。 息子が私に向かってつぶやく。 「疲れた、もう歩けない」 公園で遊んだ帰りや、買い物に行った時の

          マイホームへの憧れは無税

          数ヶ月前。 家の近くに新しい家が建った。 角地にある白塗りのスクエアなその家は、 ひときわ目を引くモダンなデザインだ。 ひときわ目を引くのはそれだけではない。 庭と駐車場が舗装されていない、ドロドロの土の上に家が建っている。 家の周りには三角コーンが等間隔に置かれ、コーンバーで敷地を囲っている。 駐車場にするだろう場所にはブルーシートがひかれ、その上に白く古いコンパクトカーが停まっている。 玄関先には『ポスト』と書かれた段ボールが置いてある。 このモダンな新築

          マイホームへの憧れは無税

          思い違いなのかな?

          思い違い。 実際とはちがうことを、事実と思い込んだり理解すること。 思い違いすることは誰にでもある。 今日は金曜日だと思っていたら木曜日だった。 財布に10,000円札があると思っていたら5,000円札だった。 驚安の殿堂『ドンキ・ホーテ』ではなく、『ドン・キホーテ』だった。 全て思い違いである。 ではこれも思い違いなのだろうか? 15年ほど前のことだ。 中国で働いていた時、社員各々のデスクに鍵付きの移動式3段ワゴンがついていた。 ある日私は、その3段ワゴ

          思い違いなのかな?

          2022年も下りエスカレーターを逆走

          元日から3日目の昼下がり。 家族で散歩に行くため、靴下を履いている私の足裏を、息子(3歳)が指さし聞いてきた。 「この白いのはなに?」 「角質だよ」私がそう答えると、息子はさらに聞いてくる。 「ボクないけど、なんでトットにはあるの?」 「オッサンだからね・・・」 し、しまった。 しかし、時すでに遅し。 「私はオッサンではない!」自分にそう言い聞かせるため、口にしないようにしていたオッサンというワード。 とっさに発してしまった。 ガサガサでゴツゴツした私の足

          2022年も下りエスカレーターを逆走

          1円の末路やいかに

          切りがいいのに。 後、1枚あれば。 そういえば、洗面所にあったような。 車のドアポケットにあったような。 昨日使ったカバンにあったような。 そんなことを考えながら、財布の中をゴソゴソ。 やっぱりない。 直径:20mm、厚さ:1.5mm、重量:1g、製造コスト:3円の1円が、後1枚あれば。 重量以上の心の負担を、レジ前で経験した人は少なからずいるだろう。 まさに『一円を笑う者は一円に泣く』。 元は『一銭を笑う者は一銭に泣く』が、時代の変化で『一円』が主流とな

          1円の末路やいかに

          遠回しの遠回しの遠回し

          プルルルル プルルルル プルルルル 息子(3歳)に絵本を読んでいる妻のスマホがなった。 「もしもし」妻が電話にでると、スピーカーから「こんばんは」義母の声が聞こえてくる。 続けて「今ね、こっち寒いよ、ホントに寒いよ」 妻が「寒波きてるもんね」そう言うと、義母は矢継ぎ早に言った。 「お姉ちゃんたちは仕事で、こっちに来れないから会えないよ。 温泉もやってない。 あ、新しい株(オミクロン)も流行ってるね。 心配しなくていいよ、お父さんもお母さんも元気だよ。 こっち

          遠回しの遠回しの遠回し

          年に一度のお便りへ。

          もういくつ寝るとお正月♪ 子どもの頃、お正月の楽しみは、お年玉におせち、そして年賀状。 元旦に誰よりも早く起きて、わくわくしながらポストをのぞきこんだ。 さっさっと年賀状を取り出し、すぐさま選別。 自分宛の年賀状を持って部屋にこもり、にやにやしながら見ていたのを覚えている。 明治4年に郵便制度が発足された。 そして明治6年に官製はがきが発行されると、年始の挨拶をはがきで出す年賀状が日本国民に広まっていったという。 ここ数年、そんな歴史ある年賀状の減少に歯止めがか

          年に一度のお便りへ。

          心を許せる唯一のネコ

          嫌いじゃない、怖いんだ。 子供の頃、追い回されたトラウマから犬が怖い。 身近な動物である猫も同じ。 体の大小は関係ない。 リールにつながれていても、心の臓が騒ぎだす。 ただ唯一心を許せるのが、妻の実家で飼っている猫。 名前はチイ。 齢17で、人間だと84歳くらいだという。 出会った頃は目も合わせず、近づいてきたら距離をとるを繰り返していた。 だが出会ってから早11年、心の距離はいつの間にか消えていた。 今では、マッサージや抱っこもしてあげることができる。

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          人の名前を呼ぶ行為でわかること

          大人になったのび太君。 彼は幼なじみのしずかちゃんを、なぜ「しずかさん」と呼ぶようになったのだろうか? 先日、スーパーの食料品売り場で、こんな一幕を見かけた。 「ねぇねぇねぇ、これ、この間の、美味しかったよね?ねぇ、ねぇ!」 声のする方に目をやると、年配の婦人が誰かに話しかけている。 婦人の視線の先に目をやると、年配の紳士がいる。 おそらく夫婦だろう。 しかし、紳士の視線は婦人ではなく、陳列された食料品に向いている。 婦人の声は大きめだが、少し距離があるから聞

          人の名前を呼ぶ行為でわかること

          さんぽで心と体が幸せ

          朝の散歩を始めてから8ヶ月が過ぎた。 桜の花びらがセミの鳴き声になり、そして金木犀(きんもくせい)の香りに変わった。 散歩を始めたきっかけは、『精神科医が見つけた 3つの幸福 』という書籍。 著者いわく、人が幸せになるためには、まず心と体の健康が不可欠だという。 その健康を手に入れるための1つとして推奨していたのが、朝の散歩。 日中や夕方ではなく、朝起きてから1時間以内、15~30分程度の散歩。 実践してみて、幸せだと感じた点は5つ。 ①気分がスッキリし頭が冴え

          さんぽで心と体が幸せ

          人生最後の日に、食べたいものは何かな。

          何が食べたいか? 人生最後の日に。 高校2年の時、3人の友人といつも一緒に昼食をとっていた。 給食がなかったため、母が作った弁当を毎日持参していた。 ある日、私は体調が悪く食欲もなかった。 母親が作った弁当を残すのは気が引ける。 そう思っていると「食べないの?」友人の1人が聞いてくる。 食欲がないことを伝えた相手は、食べざかりの男子高校生。 「俺が食べてやる!」そう言うと、俺も俺もと他の2人も私の弁当に箸を入れ始める。 一口、二口、友人たちは無言で弁当に箸を

          人生最後の日に、食べたいものは何かな。

          価格より価値より指切りげんまん

          価格と価値の違い。 大きな違いは、目に見えるか見えないか、誰かが決めるか自分で決めるかだろう。 おしっこはトイレでできるのに、うんちはおむつを穿かないとできない息子(3歳)。 そんな息子と前々から約束をしていた。 トイレでうんちができるようになったら、恐竜のおもちゃを買う約束を。 数千円程度のおもちゃだろう、毎日のおむつ代を考えれば安いものだ。 そしてつい先日、その約束を果たすときがきた。 私の見立て通り、恐竜のおもちゃは4,000円ほどだった。 元々は。

          価格より価値より指切りげんまん

          石に布団は着せられず、私は今、幸せな境遇にいる

          『24年前の今日、長い不妊治療を経て産まれてきた子どもは4人。 初めての子育てにオロオロしながら、泣けば抱き、オムツを替え、ミルクを飲ませ、怒涛(どとう)の毎日を過ごした。 そんな待ったなしの子育てに奮闘しているさなか、子どもたちが12歳の誕生日を迎えた頃、妻がガンで亡くなった。 あれから12年過ぎた今、4人はそれぞれの場所でがんばっている。』 某新聞に掲載されていたエッセイの一部。 私は、エッセイの中のどの人物の境遇にも置かれたことがない。 だが、涙がこぼれた。

          石に布団は着せられず、私は今、幸せな境遇にいる