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『もっと超越した所へ。』を観た。

10月はもう、謎にくさくさしてて、意味不明にテンション下がりまくって「もうなんもしーらね」って気分でチェンソーマン観ながら『KICK BACK』の歌詞みたいに生きてえ、もう疲れたわわたしだって楽して生きてえ!!!!ハッピーで埋め尽くしてレストインピースまで行きてえ!!!!ってなってたんだけど、この映画はずっと気になっていたので観に行きました。観た人にしかわからない感想書きます。
クズ男は嫌いではないです。むしろ好き。クズに沼ったことはたぶんないです。むしろクズに振り回されてみたいのに、クズとわかった時点で心のシャッターが降りてしまうので結果的にクズに沼れない。同族嫌悪ってやつか。
人生に一度くらいはクズの手のひらの上で七転八倒して満身創痍になったあげく、なにもかもを底の底からひっくり返してぎゃー!!!って叫びたかった本能のままに。

ここに出てくる4人の男(キャスティング天才)の痛快すぎるクズさもクズを増長させる4人の女(キャスティング天才)の人生と向き合おうとするがゆえの不器用さから来るようなダメさも、恋愛が絡むと歪んでしまう思考も認知も、毎日を生きていくことのしんどさも心当たりがありすぎて背筋寒くなったわほんとしんどい。無意識的に他人にそういうクズさやダメさを発揮しているときだってあるだろうなと思うと胃がひっくり返りそうになった。結果的に関係が修復不可能になって「あーまたダメだったな…」ってしんみりしちゃってまた出会う前の生活へ戻っていく…なんてことはこの映画は許さない。本予告の前田敦子のセリフにもあるように「意地と根性でもっと超越した所へ。」行っちゃう。
この作品、たぶん泣くような作品じゃないと思うんだけど、賛否わかれているらしいラストシーンを観てわたし泣いてたわ。これぞエンパワーメント。欠落のない人間なんていないからこそ、ぜんぶ抱きしめて生きてこうぜ!そうだ!We are ALIVE!って叫びたくなる人間讃歌かって。おなじバカなら踊らにゃ損損みたいな「ええじゃないか」状態で力押ししてくるもはや強引すぎるパワーに引きずられます、このラストは。今って平成だっけ?「肯定して愛する」のは令和初期の一大テーマのようでもあり、だけどこの無鉄砲で無防備でバカみたいな剥き出しはまるで平成中期の追体験のようにも感じてしまった。それこそ「努力 未来(前進) Beautiful star」を内包しながら「ハッピーで埋め尽くしてレストインピースまで行こうぜ」みたいな。おい、なんかぜんぶつながったんだけど?(わたしのなかで)
きっとこの8人の男女は明日になったらまたどこかで同じことを繰り返すことでしょう。染みついたクズは息をするように発揮され女は生活に立ち返りキレたり泣いたり。生きているからこそ。でも、ひとつ壁を越えて突き抜けてしまえば、そこに今まではなく、1ミクロンかもしれないとしても、なにかが変わった未来が広がっているのだろう。それはまさしく生きているからこそ。
あと、クズでもダメでも面倒でもなんでも、きっと出会うべきひとに出会えばしあわせになる。どうせ完璧にはなれないわたしたち。欠けたピースがぴったり合えば、絶え間ない憎しみも果てしない愛になるのかもしれない。
気がつけばわたしは「未来最高!」とか脳内でのたまいながら、爽快な気持ちで映画館をあとにしていた。最低なテンションはいつのまにかどっかに消えたわ木っ端微塵に。

ちなみに、冒頭で描かれる女4人の「お米」への向き合い方がとても好きだった。向き合い方を通してそれぞれの性格や生活の価値観の解像度が上がっていくのは、物語へ没入していくのに効果的な描写だったと思う。ラストに向かっていくとき「お米」がまさかの重要な装置になっているのも面白い。お米の袋は重いよね。でもその重さを預けていいひとがいる、そんなちいさなことだけでもそれはそれで、ある種しあわせなことなのかもしれない。


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