「情報を浴び続ける」の本当の姿に気がついた話
AWSの3日間のセミナーを修了しました。経緯などは昨日の記事に書いた通りですが、非常に濃い3日間を過ごしました。
昨日の記事でセミナーを通じて得た気づきとして「システム開発の思想は生活に応用できる」という内容を書きました。もうひとつ大きな気付きがあります。それは「情報を浴びる」の本当の姿です。
私が参考にしている堀江貴文氏の生活様式に「情報を浴び続ける」というものがあります。多くの情報に「触れて」は「忘れる」を繰り返しているのだそうです。私もこれを真似て読みきれないほどの多くの情報に触れるように心がけていました。これはこれで非常に勉強になるのですが、やり方を一部間違えていたと気が付きました。
浴びる情報は濃厚でなければなりません。濃厚というのは自分では理解しきないほどに詳細な情報です。10を聞いて9くらいは理解できる情報であれば得られる情報は1のみです。10を聞いて3くらいしか理解できない情報であれば得られる情報は最大で7です。もちろん理解は出来ていないので完璧な知識にはなりません。しかし見出しとなる単語や、印象に残る比喩くらいは記憶の片隅に残ります。この「頭の片隅に残す」のが重要だと気が付きました。
私の成功体験は政治や経済や国際情勢に対する知識です。これらに関してはワイドショー程度の知識しかありませんでした。今はおぼろげながらもnoteに記事を書く程度までには知識を得らています。今思えば、この知識はまさしく濃厚な情報を浴び続けることで得た知識でした。
具体的にはYou Tubeに上がっているニュース解説動画を毎日見続けるのが私にとってのそれでした。最初はテレビの報道とは全く異なる視点でのニュース解説を興味深く聞いていたのですが、今思えば当初は半分も理解できていなかったと思います。それでも歯に衣着せぬ表現や、断片的な単語が記憶に蓄積されていきます。「知識の引き出し」が増えていたのです。この知識の引き出しを得たことで、私はその引き出しを入り口として読書で関連する知識を得てみたり、逆の立場の意見で多角的な知識を得てみたりと、知識を深めてきました。
学習において「引き出しを増やす」のと「深く正確な知識を得る」のは別の作業です。これに気がつくのに35年かかりました。しかし、実は子供の頃から実践していたものです。学校の授業はまさしく「引き出しを増やす」学習であり、予習や復習は「深く正確な知識を得る」学習です。両者の特徴として「引き出しを増やす学習」が受動的な行為であるのに対し、「深く正確な知識を得る学習」が能動的な行為です。引き出しを増やすには受動的な学習の方が効果がありそうです。受け身の学習は何となく否定的に見ていましたが、あながち悪いことでもないと理解しました。
引き出しを増やすには具体的にどうすればよいでしょうか。今回の私のようにセミナーに参加してみるのが最も効果的かもしれませんが、費用も発生します。最も行動に移しやすいのはYouTubeなどの動画サイトです。最悪の場合は垂れ流しておくだけでも良いかもしれません。情報の浴び方を意識的に変えてみようと思います。