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話題の「連ちゃんパパ」が面白すぎる理由を心理学と脳科学を交えて考えてみた

ツイッターで「連ちゃんパパ」という漫画を知りました。絶賛の声が多かったので読んでみたら、これがかなり面白くて一気に読んでしまいました。

公式の作品紹介としてはこう書かれています。

妻が家出、そして残った借金!!息子と二人で妻を探して日本中を探し歩く。借金取りと3人の歪なトリオの放浪記!!

これだけを読むと怖い借金取りに追われて放浪するヒューマンドラマのように感じますね。そんな一口で語れるものではありません。

下世話ではありますが、なぜこの漫画を面白いと感じたのかを考えてみました。

「連ちゃんパパ」はマンガ図書館Zで無料で読めます。以下、過度なネタバレはしないように書きますが、気になさる方は先にマンガ図書館Zで読まれると良いかと思います。

見た目と対極にある下衆さ

あらゆる点においてギャップが強い作品です。

まず絵柄についてです。絵柄は優しくてコミカルです。釣りバカ日誌を連想するような絵柄で、ついつい人情が溢れて明るく人気者なハマちゃんの性格を想像してしまいます。

一方で登場人物の性格は最悪です。主人公はパチンコに入り浸って金遣いが荒く、人の不幸を何とも思って無さそうな言動を繰り返します。主人公の妻は冒頭からパチンコでこさえた借金を夫に押し付けて別の男と逃げてしまいます。

加えてこの夫婦に元気で頭の良さそうな男児が居る設定が、最悪さに拍車をかけています。釣りバカ日誌の浜崎家とは比べ物にならないくらいに救えません。

逆に悪役だと思っていた借金取りが結構人間味のある描かれ方をされています。ネット上ではこの作品の主要な登場人物における唯一の良心とも言われています。

人間はギャップが大きいものに対峙した時に強い印象を抱きます。これはゲインロス効果という人間の性質です。ギャップは大きければ大きいほど、印象が強化されます。平凡で優しそうな見た目と、その裏にある救えない程の下衆さを目の当たりにして、それだけで強い興味を感じてしまいます。

ちなみに「救えないほどの下衆さ」と書きましたが、これは私の常識からしたら限度を超えてます。多少は良心の呵責があってもよさそうなのに、それを全く感じさせません。読者によっては「サイコパス」と評されるほどです。あまりにも限度を超えすぎていて、もはや異世界ファンタジーとして受け入れられる程です。

悔しいけど応援してしまう

主人公やその妻はパチンコに入り浸ってどうしようもない人間として描かれています。しかし、実はこの作品の中で何度もパチンコ依存症を克服しようとします。結果的に抜けきれません。作中でパチンコ依存症を克服しては堕ちていくのを繰り返します。

主人公らの性格は最悪だとわかっているのに、「今回こそは克服するのではないか」という期待感を煽られます。

また、この作品では子供も主人公として様々な人間味を出します。基本的に両親(主人公と妻)が好きな子なのですが、両親の駄目な性格に嫌気も差します。「好き」と「嫌い」を行ったり来たりする様子が上手く描かれています。

子供を軸として家庭が崩壊したり修復したりを繰り返す様子を見て、「今度こそは円満になるのではないか」という期待感を煽られます。

人間は弱いものが頑張っている姿をみると応援したくなるものです。これはアンダードッグ効果という人間の性質です。

この作品の比較として「闇金ウシジマくん」が挙げられますが、この点が結構違うと感じています。闇金ウシジマくんは登場人物をこれでもかというくらいに不幸に陥れます。しかし、連ちゃんパパは人生の浮き沈みが表現されています。最終的に人間の弱さが働いて不幸になるのはどちらも変わりません。

他人の不幸は蜜の味

「闇金ウシジマくん」の話がでたので、両作品の共通点も挙げておきましょう。それは登場人物が押しなべて不幸であることです。

「他人の不幸は蜜の味」という言葉があるように、人間は人の不幸を喜ぶ性質があります。そう言われると、自分はそうではないと思いたいところですね。しかし残念ながら実は科学的に証明されているそうです。

量子科学技術研究開発機構によると、『身体の痛みに関係する前部帯状回が心の痛みである“妬み”にも関与している』らしいです。そして『妬みの対象の人物に不幸が起こると、心地よい気持ち』になるというのも観測されています。

今回の研究成果は、普遍的な感情である妬みとそれに関連する他人の不幸を喜ぶ感情の脳内メカニズムを明らかにするとともに、ある精神状態の脳活動から次に起こる精神状態とそれに伴う脳活動を予測するという新たな展開をもたらしました。身体の痛みに関係する前部帯状回が心の痛みである“妬み”にも関与していることは興味深く、この活動が他者と自己との関係性で変化することもわかりました。妬みの対象の人物に不幸が起こると、その人物の優位性が失われ、自身の相対的な劣等感が軽減され、心地よい気持ちになります。この心の痛みの強い人ほど、他人の不幸が起きると痛みが緩和され、蜜の味と感じやすいことが脳科学的に示されました。

「連ちゃんパパ」にしても「闇金ウシジマくん」にしても登場人物が不幸だらけです。人が不幸に陥っていく様子を描くと一定の支持を得られるのかもしれません。

ちなみに連ちゃんパパの主人公は登場時は『東京に住む高校教師で、妻と子供と3人で暮らす家庭』として描かれています。最初はパチンコを毛嫌いしています。この家族構成はこの作品が描かれた1980年代にしては質素かもしれませんが、現代では十分に理想的な家庭として捉えられると思います。この理想的な家庭が一瞬にして崩壊して堕ちるところまで堕ちていく様子に蜜の味を覚えるのは無理もありません。

それにしても、この作品がパチンコ雑誌に掲載されていたのだから驚きです。このような作品を読めば「パチンコはやめよう」となってしまわないのでしょうか。あるいは共感を得ながら読まれるのでしょうか。私には理解できない世界です。

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