【強迫性障害】いよいよ暴露療法

いよいよ今日から3日間収集プログラムで暴露療法を受けてきます。
自分の場合は家の中が聖域で汚したくないがために、外から持ち込んだ汚れ(と思っている物)は全て拭き取ったり洗い落としたりしないと気が済まず、そのため外出して座った後のボトムスは即洗濯機行きだし、買い物した商品はウェットティッシュで拭かないといけず、余計な手間がかかってしまったり、そういった手間が嫌に思えるときは行動を制限してきました。

それさえやれば日常生活は送れているのでよしなにやってきましたが、やはり今後数十年の人生を考えるとQOLが著しく低いので、なんとかしないといけないと思うようになり、某クリニックで行動療法を受けることに。

物への執着のためなのか、マイホームという一番高い買い物に対して聖域と思っているのかわかりませんが、一方で家=寝泊まりする場所と考えるなら、自宅も旅先のホテルも本質的に変わらず、旅先のホテルでいちいちウェットティッシュで拭いたりなんかしないので、自分の家=1万泊くらい本来の宿泊費よりも安い値段で予約している(毎月の住宅ローン返済額の方が家賃より安い)ホテルと思えるようになればあっさり治る気がしているがどうなることやら。

家の所有権は自分にあるものの、それを保証しているのは目に見えない法制度であり、ローンを滞納して差し押さえられたら所有権は銀行に移るし、他の人に売却すればその人に所有権はうつる。法律が所有する人を定めていて、たまたま今私がそう定められていると言うだけで、誰が所有権を持っていようが家は家でありそこに存在しているだけな気がする。そんなものに執着する意味とは?ある意味誰の物でもないのでは?

汚れと思っている物は、排泄物だけでなく唾液や髪の毛、角質など他の人間から出る全ての物ですが、そもそもそういった物においては自分の物だろうが他人の物だろうが本質的には同じ化合物であり、所定の化学式で表現されるただの化合物であり、研究室で人工的に合成することもできるわけで、汚いも何も無いはず。
仏教思想でも自分とかいう概念は幻みたいな考え方があるが、自他を区別すること自体がナンセンスなのかもしれない。


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