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1000字の読書感想文『キャンサーロスト』失ってばかりのわたしたち
わたしは、義理のお母さんに会ったことがない。
彼女が残した可愛く大切な息子さん。わたしが彼と出会うよりもずっと前にお義母さんは亡くなっていた。幼い男の子から母親を奪ったのは、がん、という病であり、彼女自身を飲み込むほどに膨れ上がった細胞だ。
お義母さんががんと闘っていたころ、同じく幼かったわたしはこんなことを聞いたのを覚えている。
父親の運転する車の中で流れていたラジオの話題。がん。
「がんはすごく痛いんだぞ。がんになったら終わりだ」
父親がそんなことを言っていた。そう、当時はおそらく「不治の病」扱いだった。苦しみながら亡くなる。だから「がん」であることを本人に告知しない時代だった。
しかし、医療はめざましく発展した。あれから30年。がんは本人に告知されるし、治る病となった。だから、「がん」を宣告されても、当人の人生はまだまだ続く。続くことを願うし期待するし医療もそれに応えようとする。生きられる可能性が飛躍的に上がったのだ。
そこで今回読んだ『キャンサーロスト』。副題は「『がん罹患後』をどう生きるか」――。
キャンサーギフトの対義語としての『キャンサーロスト』。
「こういった喪失体験を持つのは、何もがん患者だけではない」
そう思いながら読んでいた。なぜ、がん罹患者が特別に喪失体験を発信するのか。彼らだけが特別なわけではない。もちろん、聞けば聞くほど壮絶な状況だ。
手に入れられず、諦めなきゃいけないことはある、自分の歩いてきた道のりにはたくさんのものが落ちていて、わたしたちの一部、あるいはわたしたちの多くは、それぞれの理由で失ったものを振り返ってはいつまでもメソメソと泣いているだろうーー決して拾えずに。そんな思いで読み進めていたが、最後にわかった。
命と同じくらい大切なものがあるということ。
だから、「命が救われたんだからそれでいいじゃない」なんて言われたくないということ。どうしても「命が助かった」ことばかりに目がいきがちな、外野の人たち。
がんを患った人もそうでない人も、等しく大切なものを持っている。だからわたしたちは、誰に対しても間違ってはいけない。みんな等しく、大切なものを大切にしたいと望んでいるのだ。その気持ちは、がん罹患者であっても現健常者であっても変わらない。
だからわたしたちは、人の心に制限をかけるようなことを言ってはならないだろう。
悔しい。そう、みんな悔しい。だからわたしは、一緒に泣く。
キャンサーロスト 「がん罹患後」をどう生きるか
著:花木裕介