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生きるとか死ぬとか父親とかと、私と。
初めてamazonレビューを書いてみました。
結構、他人の評価を読むのが好きで(食べログ以外)
読み終わった本や観た映画なんかの感想を
ネットで検索するのが好きだったんですが
ついにそこから一歩、踏み出してみました。
amazonレビューデビュー。
この〇〇デビューって言い方ダサいですね。
「amazonレビューデビュー」は語感がよくて好きですけど
「amazonレビューデビューのコメントをプレビュー」だとラップぽくて尚のこと好きです。
本の話に戻ります。
これを読むと、親と自分の関係について
見つめなおしたくなります。
そして、「親と自分」について誰かに聞いてもらいたくなるのです。
また、作者は中年と呼ばれる世代。
ならばその親は戦争を体験しています。
私は今年30歳。
作者の親世代が、どちらかというと私の祖父母に近く
「祖父と自分」について、誰かに聞いてもらいたくなったのです。
私の祖父の葬式は2年前、悪天候の日でした。
母が「最後までおじいさんらしい」と忌々しそうに言う姿を思い出します。
祖父は享年77。(多分)
棺に入った祖父の顔を姉と覗き込んだとき
「あれ?おじいちゃんってこんな顔だった??」と顔を見合わせました。
辺りを見まわしても、誰も不信がっていない様子。
どうやら取り違えなどではないようです。
でも私には(多分姉にも)見覚えのないお爺さんでした。
ここまで
なんと不義理なやつだと思いますか?
祖父の顔もよくわからない孫。
私は不義理だと思います。自分はなんと心無い人間でしょう。
だって祖父は私になにもしていないのです。
まして、意地悪をしたことなどありません。
まあ、嫌なことを言われたこともありますけど
たかが知れています。
悪気がないことまで含めれば、嫌なことを一切言わない人間なんていないですよね。
祖父はただ、私と姉に無関心でした。
自分と苗字が違う孫に興味がないだけでした。
祖父は戦争中、疎開地として品川から静岡県にやってきます。
その疎開先で出会った祖母と恋愛の末、婿養子として嫁いできました。
戦争は徴兵される前に終わったそうです。
ちなみに祖母は80を優に超えた今も、かわいらしい見た目で
若いときの様子は想像に難くありません。
祖父は姉しかいない長男でありながら「嫁にはいけない」という祖母の意思を尊重しました。
その後、婿養子であることを村で馬鹿にされながらも耐え
いや、たまにケンカをし懸命に働きました。
田畑は大きくなり、立派な家を建てました。
それが、自慢でした。そして、子孫繁栄を望んでいきます。
ただ、苗字が違う孫は「子孫繁栄」の枠組みから外れていたようでした。
ちなみに
今、その家は祖母一人で住んでおります。
最大で8人もの人が暮らしていた家をみんな出ていきました。
行ったり、逝ったり。
私は祖父が自分に興味のないことは知っていて、それは仕方がないことだと思っています。
でもたまに。不意のきっかけで思ってしまうのです。
友人の結婚式で、車椅子姿で涙ながらに孫の結婚を祝うお爺さんやお婆さんを見たとき。
姪にデレデレしながら話しかける父を見たとき。
私はどうして、祖父に想ってもらえなかったんだろうか。と。
私が悪かったのではないか。と。
でも私にはまだ、すべてを許容できるほど人間ができていない。
「生きるとか死ぬとか父親とか」を読んで、そう思いました。
私は
祖父を型にはめて
一人の人間としてではなく「祖父」という役割を通してだけでしか
まだ、見られない。と。