
第70回 『ユリシーズ』第5逸話「食蓮人」その3
ブルームの視界を遮った電車が通り過ぎると、もう女たちの姿は消えていた。
「ところで君の奥さん元気?」マッコイが聞いた。「うん元気」
ブルームは手に持っていた新聞(劇中ではカットされてるが、途中購入したらしい。「フリーマンズ・ジャーナル誌」。ブルームはこれに載せる広告をもらってくるのが仕事。だから平日の昼間にブラブラしてる)を広げ出した。
そこに、「プラムスターのミート缶詰がないなら、それは不備。あれば至福」
それが無神経に、「おくやみ」欄の真上に載っていた。
プラムスターは実際にあった食品会社で、このミート缶詰も実際に販売されていた。でもその広告が「フリーマンズ・ジャーナル誌」の「おくやみ」欄の真上に載っていた記録はないらしい。
「うちの女房に仕事の口がかかってね」マッコイが言った。彼の奥さんも、ブルームの奥さんモリーと同じプロの歌手。
「うちのモリーもだよ」「それは結構。誰の口利き?」
「別に観光みたいなものだよ」
ブルームは濁して答えた。ボイラン(モリーの不倫相手)と言いたくないためである。「そ、なるほど」
”鞄狙ってるな”
ブルームは思った。マッコイは友達のカバンを借りパクして、質屋に入れた噂がある。これは『恩寵』という短編から受け継がれている設定。
ちなみにマッコイにもモデルがいて、チャーリー・チャンスというジョイスの父親の友人。
この人は、これ『ユリシーズ』を読んでどう思ったのだろう?
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「あと葬式だけどさ。俺行けないかも。サンディコーブ海岸で溺死体がそろそろ上がるかも。そっち行かなくちゃ。悪いけど仕事なんでね。だから参列名簿に俺の名前も書いてといてもらえると助かる」「いいよ」
”ボブ・カーリー(のちに本人登場)はこいつに盗られたんだ。危ない危ない”
マッコイは現在検屍官の秘書をやっている。これも『恩寵』からの設定にして、元ネタチャーリー・チャンスの職業でもある。
「じゃ」「また」
ようやくマッコイに解放されたブルームは、また通りを歩き出した。
壁に夥しい広告。
”〜のジンジャエール。俺の後つける気じゃあるまいな? 〜デパートのサマーセールねぇ。いや、曲がった。今夜は『リア』の公演があるのか…”
上記もブルームの脳に浮かんだ意識の流れ。よって今ブルームが目にしているものと、マッコイの存在が気になるのとごちゃ混ぜに語られている。
”ミセス・バンドマン・パーマー主演。昨夜は『ハムレット』をやったらしい。男役。いやハムレットは実は女だったのかも。だからオフィーリアは絶望して自殺したのかな。
かわいそうなパパ! パパが話してくれたロンドンで見たという『リア』の公演。すごい行列で…。俺が生まれる前の年だから、1865年…。
またブルームの脳内独白。
『(身捨てられた)リア』の公演というのは、今夜ダブリンのある劇場で行われる芝居のこと。
実際1904年6月16日にあっととのこと。前日の『ハムレット』公演も然り。ミセス・バンドマン・パーマーという女優が男に扮してハムレットを演じたそう。だから「オフィーリアは絶望して自殺…」はブルームの勝手な妄想(ハムレットの恋人オフィーリアは川に身を投げる)。
その流れで、辛い(ブルームの)パパの最後を思い出してしまった。
”パパがよく話してくれたのは、盲目の老人がナータンの声を聞き分け、彼の顔を指で弄る場面だ”
『(身捨てられた)リア』のあらすじを。
昔ある村に、ナータンという男と彼の父親が住んでいた。ある時、息子は信仰のユダヤ教と父を捨て村を逃げ出す。程なく父は悲しみの中死ぬ。
何年もして、ナータンはキリスト教に改宗、素性を隠しある村で教師をしていた。またしばらくして、村のユダヤ教徒を迫害しようとするナータン(でも美しいユダヤ娘リアには恋してる)。そこへある盲目の老人がやってきて、ナータンの声になにやら懐かしさを感じる。そして偶然を装い彼の顔を触ってみると、
かつての友人(ナータンの父)に瓜二つ!
「てめっナータンだろ! 俺の友達見捨てて村逃げ出したバカ息子。…や、てか、てかてかこいつ昔ユダヤ人だぜぇ!」

で、袋叩き(嘘。知らん。今足した)
…そんな話(らしい)。
”ナータンの声! 父を捨て、家出したナータン。父の家と父の神を捨てて出て行ったナータン。一言一言が身に染みるよ。
〜かわいそうなパパ! あの日、部屋に入ってあんなパパを見なくてよかった。
なんてことだ! でも、あれがパパにとってよかったのかも”
ブルームはナータンと自身を重ねている。
ブルームは、父親がユダヤ人だが彼自身はキリスト教会で結婚式を挙げている。
そして、ブルームのパパは、ブルームが20の時自室で服毒自殺をしている…(ブルームの改宗とは関係ない)。
続く。
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